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もう何日そうしていただろう。
自室の寝床の上で、ジルファリアは膝を抱えた状態でずっと座っていた。
何度夜が来て朝が来ても、その表情が晴れることはなかった。
感情も何もかも捨ててしまったように、ぼんやりとした顔でずっとこうしている。夜が来ればいつの間にか伏して眠りにつき、朝が来ればこうして踞って座っているのだ。
母が食事を持って来ても、父が隣で話をしていても。
近所のヤブ医者は「今は心が傷ついているから、しばらく休ませてあげな」と珍しくまともなことを言って帰って行った。
__あのヤブ医者は、サツキのところへも行ったのだろうか。
そんな考えに及び、ジルファリアはわずかに顔を歪めた。
胸のあたりがまたずきずきと痛んだ。
__マリスディアの所は、ちゃんとしたが医者がいそうだ。
今度はそんな考えが浮かび、思わず窓の外を見る。
今日の王城もまた変わらず、美しかった。
悲しいことが起こっても、誰がどこかで傷つこうとも。
時間は平等に進み、日常はずっと変わらないまま続いているのだ。
だがここは違う。
窓の外にいつもの喧騒が聞こえない。
あれから、職人街は彼を偲ぶように静かだった。
住民たちは忘れ草で染めた布を手首や髪に巻きつけ、洗濯屋を訪れているという。
母が枕元に残していった忘れ草の布を見遣った後、ジルファリアは膝に顔を埋めた。
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更に、何日経ったのだろう。
流石にきちんとしたものを食べないと、両親を心配させてしまう。
そんな思考ができるくらいまでには、ジルファリアの意識も戻ってきていた。
「かゆ……」
久しぶりに声を発した言葉がこれかとジルファリアが頭を掻く。
彼の血を浴びたあの時は、誰かに湯浴みへ連れて行かれたような気がするが、それ以来風呂にも入っていなかった。
そっと床に足を下ろし立ってみる。
ぎし、と古い板張りの床が鳴り久しぶりに足の裏の感触を感じた。
自分が空腹であることすら覚えていなかったが、体は正直だった。足に力が入らずよろめいてしまい、側にあった戸棚に寄りかかる。
その時、近くの窓硝子からコツンと音がした。
顔を上げると、窓の外にサツキが立っているではないか。
「さ、サツキ……!」
狼狽えたジルファリアがガタガタと足元の椅子を蹴倒す勢いで窓に駆け寄る。
あの日、アドレと喧嘩をして家を飛び出した時から、サツキには会っていなかった。
自分も人に会える状態ではなかったし、あんなことがあったのだ。特にサツキには会えないと思っていた。
サツキはいつもジルファリアを誘いに来るのと同じ調子で屋根のところに立っており、ジルファリアが窓を開けると「よう」と片手を挙げた。
「……なんや、ボロボロやな、お前」
開口一番いつもの揶揄うような口調でサツキは苦笑した。
「サツキ、なんで……」
「お前がぜんぜん会いに来ぇへんから、おれの方から来たったんや」
そう言うと、サツキは親指をくいと上に向けた。
「ちょっとええか?」
ジルファリアはいつもサツキと二人でクラケットをかじっていた屋根のところまで登る。
徐に西の方角を見遣ると、連鎖的に彼女を案じていた。
サツキはよっこいせと声を出すと、屋根瓦に腰を下ろした。そして「まぁ座れや」と自分の隣を叩く。
「お前、もう平気なのかよ」
促されるまま隣に座るジルファリアは訊ねた。
「平気なわけないやろ」
間髪入れずに返ってくる答えに、ジルファリアの胸がキュッと痛んだ。
それはそうだ。サツキは大切な父親を突然亡くしたのだ。それもジルファリアを庇って。恨まれて当然だとジルファリアは表情を暗くする。
「正直、ジルのことと、王族をまだ許せてないんもホンマや」
グッと拳を握るとサツキが言葉を紡ぎ出す。
「お前やお姫さんたちが悪くないんは分かってんねん。けど、まだ気持ちはついていけてへん」
ずず、とサツキが鼻を鳴らした。ジルファリアはそんな彼を慮り、黙っていることにした。いや、到底口など挟めなかった。
きっと彼自身、誰かに吐露しなければ心が保てなかったのだろう。だからジルファリアの所へやって来たのだ。
「おやじ、ほんまに肝心なことは何も言えへんかったからなぁ」
呆れたような笑いを落とし、サツキが首を横に振る。
「なんであの時おやじが王宮にいてたんかも謎やし、そもそもおやじは何者やったんかますます分からんようになってな」
それはずっとサツキが気にしていたことだ。
こうなってしまっては、もう答えを聞くこともできない。
「もっとちゃんと聞いとけば良かった……」
今のはサツキの心からの後悔なのだろう。その思いは涙声になって最後は消えてしまった。
ジルファリアは思わず口を開く。
「おっちゃん、言ってた」
俯いてしまったサツキからの返事はなかったが、ジルファリアは続ける。
「もっと、サツキとたくさん話したかったって。サツキの親父になれて嬉しかったって」
「……なんやねん、それ」
すすり泣きながらサツキが笑う。
「どうしようもないくらい酒癖も女癖も悪くて、仕事もいっつもおれに押し付けて」
「サツキ……」
「傭兵やら賞金稼ぎやら、色々してたことあるんやったら、なんで今こうしてわざわざ稼ぎの悪い洗濯物屋なんかやってんねんて」
「傭兵……」
昔、ジルファリアがラバードに聞いたことを思い出した。何故いまは傭兵をやってないのか?かっこいいのにもったいないと訊ねると、あの時彼は「そうやなぁ」と一瞬考えるふりをした後、豪快に笑っていたものだ。「もう飽きてん」と。
男手一つで子育てするのに傭兵なんてやってられるかとも言っていたっけ。
ラバードが洗濯物屋をしているのはサツキのためなんだな、と幼いジルファリアが納得していたのを思い出す。
「おやじは家族ごっこがしたかったんかって、捻くれて思てた時もあったんや」
「家族ごっこ?」
「聞いてへんか?おれとおやじに血のつながりはないんや」
「え?!そうなのか?」
初耳だった。
ジルファリアは目を丸くして、サツキの顔をまじまじと見つめた。
「そう言われてみれば、全然似てねぇけど……」
そうやろ?と返すと、サツキはようやく顔を上げた。
「おやじは、あの寒い雪の中、おれのことを助けてくれたんや」
ぽつりと言い放ったサツキの言葉に自分の知らない親子の歴史があるようで、ジルファリアはじっと耳を傾けることしかできなかった。
「なんでおやじがおれを助けてくれたんかは分からへん。おやじがホンマは何をしてて、何がしたかったんかも分からへん」
そこまで言うと、サツキは弾みをつけて立ち上がった。
「けどな、おれは知りたくなったんや」
握りしめた拳をこちらに向けたサツキはにぃ、と笑ってみせる。
「おれも行くで、アカデミーに」
「へ?」
その唐突な言葉にジルファリアはぽかんと口を開けた。
「おやじのことを知ろうと思ったら、おれにはまだ足りてないものがある。それを補うにはやっぱりアカデミーで知識をつけなあかんって思たんや」
ジルファリアは目の前のサツキがキラキラと輝いているように見えた。
この友人は何と強いのだろう。
実の親同然に慕っていた父を亡くし、それを乗り越え尚且つ彼のことを知ろうとしている。
自分には到底及びもつかない、とジルファリアは恥ずかしくなった。
「せやから、お前も立ち上がれ、ジル」
拳をぱっと開くと、ジルファリアにもう一度向けた。
徐にそれを手に取ると、サツキはぐいとジルファリアを引っ張り上げる。つんのめりながらも立ち上がったジルファリアに今度は柔らかな笑みを向けると、サツキは照れくさそうに呟いた。
「おやじの最後のことばを、届けてくれてありがとうな」
その言葉で、ジルファリアは自分も少し救われた気がした。
「うん……」と頷くと、今度はジルファリアの瞳から涙が溢れてしまいそうだったので、両腕でそれを覆い隠した。
「泣いてるヒマなんかあらへんで。お前も行くんやろ、アカデミー」
「……アカデミー」
そう呟くと、ジルファリアは「挑戦してこい」と笑いながら髪を撫でてくれたラバードの顔を思い浮かべた。
次に、黒焦げに倒れていたマリスディアのことを思い出す。
マリスディアに「守ってやる」なんて約束したくせに、手も足も出せず何もできなかった。
それどころか大切な人を失ってしまったのだ。
「オレも全然足りねぇんだよな」
そう言いながら、自分の手のひらを見つめる。
そうだ、自分には足りていないものがたくさんあるのだ。
勇気も力も、知識も、何もかも。
自分はあまりにも無力なのだと思い知った。
「もう、何も無くしたくない」
ジルファリアの言葉にサツキも大きく頷いた。
……強くなりたい。大事なものを守りたい。
そんな思いで、ジルファリアは目の前の王城を見上げた。
すっかり陽が傾き、黄昏の光に包まれた王城は、変わらずこちらを静かに見つめているようだった。
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