宵闇の魔法使いと薄明の王女 7−4

 周りの誰もが固唾を飲んで見守る中、ヒオは目を閉じ光の粒をウルファスに送り続けている。
 次第にウルファスの顔色が赤みを帯びてゆき、短く呻く声がその唇から洩れた。
 その声にヒオはふうと息を吐き瞳を開く。
「ヒオ様、ウルファス様は……」
 見守っていた従者の声に、ほっとしたようにも取れる微かな笑みを見せるとヒオも頷いた。
「うん、何とか持ち直されたよ。少し危ない状態だったけれどね」
 そしてすぐさまこちらに目線を寄越すと、一転して冷たい表情に変わった。
「……で、何故部外者をこんなところまで連れて来ているの?タチアナ」
 その何でも見透かされそうな澄んだ瞳にジルファリアが怯んだ。
「部外者だなんて失礼なこと言わないで。ジル君はマリスディア様の大切なご友人で……」
「それにしたって、こんな夜更けに、しかもウルファス様がお倒れになっている緊急事態に招き入れるなんて。君もどうかしているよ」
 こちらに鋭い一瞥を投げるヒオに誰も言い返せないでいた。
「君は、前にキリングのところにいた子だね。名前を聞いても?」
 一応こちらのことは認識していたのかとジルファリアは意外に思った。
 すぐに名乗るのも癪だったが、ここまま黙ったままでいるのも居心地が悪い。むすっとしたまま口を開いた。
「ジルファリア=フォークス……」
「そう、それじゃあジルファリア。君はすぐ家に帰りなさい」
「え?」
 思わず聞き返すと、ヒオは冷たい一瞥を投げた。
「ウルファス様は今お身体が優れない。君の相手をしている時間はないし、ここも安全とは言い難い。どう考えても、今のこの状況に君は足手纏いでしかないんだよ」
 淡々と繰り出す言葉に言い返すことも出来ず、ジルファリアはただ圧倒されていた。それ程、このヒオという青年の持つ迫力のようなものが肌を通して伝わってきたのだ。

 やはり、自分がここへ来たのは場違いだったのか。
 自分はただマリスディアが心配で、何か助けられることがあればと思っていただけだったが、それが大人達にとっては迷惑でしかなかったのだ。

 周りの視線に居た堪れず、ジルファリアが肩を落とした時だった。

 「ヒオ、そんな言い方をしてはいけないよ」

 弱々しさはあったが、その優しく温かな声色に部屋にいた誰もがそちらを見た。

 「ウルファス様!」

 ジルファリアや従者の声が重複して部屋に響く。
 床から起き上がったウルファスが、微笑みながらこちらを見ていた。

 「ウルファス様、お身体はいかがですか?」
 先程とは打って変わったように気遣わしげな表情でヒオがその身体を支える。
「うん、ヒオ。大丈夫だ。ありがとう、迷惑をかけたね」
 傍らのヒオに笑いかけたウルファスは、自分を見つめる従者達にその笑みを向け首を垂れた。
「みんなもありがとう。心配をかけてしまって本当に申し訳ない」
「ウルファス様。どうか顔を上げてください。本当に平気なのですか?」
 タチアナが真っ先に促すと、ウルファスは顔を上げて頷いた。
「ああ、公務で少し疲れていたみたいでね。灯りを消した時に足元が覚束なくなってそのまま倒れてしまったようだ」

 ジルファリアはその時、違和感を覚えていた。

 __ただ転んだだけ?
 そんなに軽い状態だっただろうか?
 もっと命の危険に晒されるような雰囲気ではなかったか?

 (それに……)

 ジルファリアはウルファスの胸元に“あるもの”を見つけ、首を傾げた。

 __あれは、何だろう……?

 「来てくれて本当にありがとう、ジルファリア」
 そんな声に我に返る。ウルファスが傍まで来ていて、こちらを覗き込んでいた。
「ところで、どうして君は王宮へ?」
 ジルファリアは言葉に詰まる。周りの従者達の視線が再びこちらに集まり、どこからどう話せば良いものか考えあぐねた。促すようにウルファスが首を傾げる。
「こんな夜更けだ、何か事情があったのではないのかい?」
 問われるままにジルファリアは頷いた。
「……嫌な感じが、王城のほうからしてきたんだ」
「嫌な感じ?」
 おうむ返しに訊ねるウルファスの声に、ヒオがはっと鼻で笑った。
「馬鹿な。そんな気配を感じたなら、王城の誰かが真っ先に気づくはずでしょ。現に僕はおろか、ウルファス様だってそういったものを感じられていない」
 確かにそれはそうなのだが。ジルファリアは困ったように眉を下げた。
「でも、ほんとなんだ」
 そんな様子に呆れ返った表情でヒオがこちらに近寄り、目線を合わせた。前にも感じた底知れぬ程澄んだ瞳がこちらを凝視しており、たじろいでしまう。そしてその唇から飛び出した言葉は……、
「いいかい、デコッパチ」
「……で、デコっ?!」
 その不名誉な名前に顔を顰める。初めて会った時から良い印象はなかったが、この一言でヒオは好ましくない部類の人間だと認識された。そんなジルファリアを気にも留めない様子で、ヒオは人差し指を突き出す。
「僕らが感知できていないものを、どうして一介の町民である君が感じ取れるんだい?」
「知らねーよ」
 むっとした様子でジルファリアがぼそりと返す。
「けど、ずっと首の後ろがチリチリして、腹のあたりが気持ち悪いっていうか」
 首筋に手を当てると、ジルファリアが俯く。
「まるであの時……マリアを攫った黒頭巾に会った時みたいな感じと同じだったから、もしかしてって思って」
 そんな様子を静かに見守っていたウルファスが、口を開いた。
「……それは今も?」
 その問いにジルファリアは大きく頷く。
「さっきまではウルファスさまが倒れてるから、そのせいなのかなって思ったんだ。けど、ウルファスさまが元気になった今も、まだ……」
 むしろどんどんと痛みは大きくなっているような気すらする。
 ジルファリアが首を捻っていると、タチアナが助け舟を出してくれた。
 「ウルファス様、実は先ほど正門前の詰所へ行ってきたのですが、衛兵達が気絶していたのです。ジル君の言うように何者かが紛れ込んだ可能性もあります」
 そうか、と呟くとウルファスは立ち上がり、タチアナ達に向き直った。
「直ちに、城中の様子を確認して欲しい」
「ウルファス様!」
 咎めるようにヒオも立ち上がる。
「こんな子どもの言う事を信じるんですか?」
「勿論だよ」
 間髪いれずにウルファスが返事をすると、ヒオは目を丸くした。
「ジルの目を見たら嘘をついていないという事くらい分かるよ」
「ウルファスさま……」
 その言葉に、ジルファリアは目頭が熱くなる。こんなに躊躇うことなく自分を信じてくれるとは、彼自身思っていなかったからだ。
「承知しました。それでは、私たちは北の塔を見て参ります」
 どこか嬉しそうなタチアナはこちらに目配せすると、さっさと従者を連れて部屋を後にした。

 「これで何もなかったらどうするんですか。これだけの騒ぎを起こして、この少年もただでは」
「何もなかったら、それはそれで良いじゃないか」
 尚も食い下がるヒオの言葉を遮り、ウルファスは微笑んだ。
「君が私を心配してくれているのは分かっているよ、ヒオ。でも、今回はジルを信じた私を信じて欲しい」
 それは非常に柔らかく、だが有無を言わせない静かな迫力があった。ヒオは観念したように肩をすくませ「こうなると頑固なんだから」と呟くと、法衣を翻して応接間の扉に手をかけた。

 「けど、僕はそのデコッパチを信用したわけではないですからね!」

 振り向きざまにそう言い捨てると、こちらにニヤリと嫌な笑みを残してヒオは部屋を後にした。

 「なっ……!」
 驚いたジルファリアが口をあんぐりと開けていると、ウルファスがくすりと笑いその髪を撫でた。
「ヒオも口ではあんな事を言っているけど、とても頼りになる男だよ」
 ジルファリアは複雑な思いであったが、それよりも今の思いを伝えなければとウルファスを見上げた。
「ウルファスさま……、オレのこと信じてくれて、ありがとう」
「うん。ではジルファリア、私を連れて行って欲しい。その嫌な気配を感じるところへ」

 ジルファリアは迷うことなく足を進めていた。不穏な気配を感じるのは、前に来たことがある場所だったからだ。
 そして時折ウルファスを振り返っては、彼の様子を確認していた。
 足早に着いてきてはいるが、彼の体調はやはり芳しくないようだった。
「ウルファスさま、大丈夫?」
 そう訊ねれば、息は上がってはいたが彼はにこりと微笑み頷いた。
「進んでいる方向から考えられるに、気配がするのは中庭なのかい?」
 続けて今度はウルファスがこちらに訊ねる。
 ジルファリアは大きく首を縦に振り、前方に視線を戻した。
「ウルファスさま、マリアは?」
「いつもはもう寝ている時間だから寝室のはずだけど……」
 そんな言葉にジルファリアの足も自然と早くなった。

 首筋にまとわりつくような重い感覚と、焼けつくような痛み、また内臓が迫り上がってくるような気持ち悪さが益々強くなっている。

 「もし黒頭巾がここに来ているとして」
 黙ったままだと不安で辛抱できなくなったのか、ジルファリアは口を開いた。
「なんでマリアに用があるんだろう」
「それは……」
 ウルファスは答えに詰まると、口を閉じた。
「前にマリアが誘拐された時だってそうだった。力ずくであいつのこと連れてこうとして……」

 単純に彼女が聖王の娘だからだろうか。

 ジルファリアは走りながら思考を巡らせた。
「それに……」

 その時だった。
 鈍い音が背後で聞こえたのである。

 「ウルファスさまっ?!」
 ジルファリアは弾かれたように駆け寄った。
 廊下の窓際にウルファスが蹲っていたのだ。
 ジルファリアが覗き込むと、その額には脂汗が滲み息がとても荒くなっている。
「どうしたんだ?大丈夫か?」
 明らかに無事ではないのだが、ウルファスは頷くばかりだ。胸のあたりで拳を握りしめているその様子に、ジルファリアは先ほどから気になっていたことを訊くことにした。

 「ウルファスさま、胸を悪くしている?」

 それほど深い意味ではなかった。だが彼の顔色がさっと変わるのを見て、ジルファリアは聞いてはいけないことだったのかと後悔する。
「何故、そう思うの?」
 息も切れ切れにウルファスが聞いたので、ジルファリアは観念して話すことにした。
「その……、ウルファスさまのここに黒い靄みたいなものが見えるから」
 そう言いながらジルファリアは自分の胸元に手を当てて見せると、ウルファスは驚いた様子で目を見開いた。
「“これ”が見えるのかい?」
 その反応に、どうやらこの黒い靄のような塊は、普通では見えないものなのだと察した。
 ジルファリアは黙って頷く。
「そうか、やはり君は……」
 そこまで呟くと、ウルファスは首を横に振る。
「ウルファスさまは病気なのか?」
 ジルファリアが思わず訊ねると、違うよと小さく笑んだ。

 「これは、私の……そう、“奪った者の罰”なんだ」

 そんな不可解な言葉を口にし、ウルファスは立ちあがろうとする。
「ウルファスさま、無理しないで」
 ふらつく彼の身体を支えようとジルファリアは手を伸ばす。
「ありがとう、ジルファリア。本当に迂闊だった……」
 悔しそうに顔を歪めながらウルファスが呟く。
「私の力が弱くなっていることを知り、……尚且つその時機を待ってやって来たのだろう」
 そこまで呟くと、ウルファスは膝から崩れ落ちた。
「ウルファスさまっ」
 思わず悲鳴のような声が飛び出してしまう。そんなジルファリアにウルファスは顔を上げた。
「お願いだ、ジル。……早く中庭へ。あの子を……マリアを守ってやってくれ」
「で、でも、ウルファスさまが」
「私のことはいいから。は、やく」
 息も絶え絶えに訴えるウルファスをどうして置いていけようか。
 恐怖で身体を震わせたジルファリアは「だれか……」と呟くと、次の瞬間声を張り上げた。

 「誰かっ……!助けて……!」

 「……呼んだかな?」

 よもや返答があるとは思わず、ジルファリアは驚いて振り返る。
 自分たちがやって来た方向から、大きな体躯の男がこちらへ歩いて来ていたのだ。
 ジルファリアがその見覚えのある蝙蝠傘に息を呑んだ。

 「宵闇っ!」

 彼は「おや?」と首を傾げ、ははーんと鼻を鳴らした。
「君は、先ほど出会ったジルファリア君か」
 宵闇と呼ばれた紳士は腰を折ると、微笑みながらこちらへ近づいてきた。
 が、床に横たわっているウルファスを見つけると、すぐさま顔を強張らせ傍らに跪いた。
「ウルファス!」
 そして素早く手を翳すと、瞬く間に手の平が光り出す。魔法なのかとジルファリアはその光を見守った。
「……無茶しおって」
 苦しげに呻くと、宵闇はそのまま二言、三言呟き両手をウルファスに翳した。
「ジルファリア君が言っていたように黄昏星のことが気に掛かり駆けつけてみたが、正解だったようだな」
「宵闇、ウルファスさまは治るのか?」
 心配で堪らずジルファリアは彼を見上げた。彼はにっこりと頷き、ああと返事した。
「君と別れてからウルファスがこうなっている事を予測してな、自室で魔法薬を調合していたところだ」
 なんと頼もしいことだろう。きっと彼は凄腕の魔法使いに違いない。
 その力強く温かな声だけでジルファリアの不安は幾分か落ちついた。
「ウルファスはいつも無理してはこうなってしまう。不調の時くらいは大人しく休んでいて欲しいものだよ」
 そしてそんな気安い言葉に、彼はウルファスとどういう間柄なのだろうと些か気になった。
「それよりもジルファリア君、君は何故ここへ?」
「あ、それは……」
 王城へやって来た経緯を説明しなければと口を開いたその時、宵闇の光の力で意識が戻ってきたウルファスが呻く。
「ジル……、頼む。マリアを」
「うむ?」
 宵闇が首を傾げると同時に、ジルファリアは立ち上がった。
「わかった。行ってくるぞ、ウルファスさま」
 ジルファリアの険しい表情に状況を察した宵闇が、こちらに向かって頷いた。
「ウルファスには私が付いているから、君は安心して行ってきなさい」
「宵闇、ありがとう!」
 ぱっと顔を輝かせると、ジルファリアは踵を返し駆け出した。

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読むのも書くのも好きです^^

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