宵闇の魔法使いと薄明の王女 7−3

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 ジルファリアは再び走り続けていた。
 今度は母から逃げるためではなく、大切な友人を助けるためだ。
 息を切らそうとも口の中が血の味で滲もうとも、その足を止める事はしなかった。
 そんなことよりも、早く王宮へ着かなければという思いだけで走っていた。

 中央通りをそのまま西へと駆け抜け、噴水広場のところまでやって来る。
 王都の中心となる場所なので、流石にこの時間でも人通りは多かった。だが誰もがこの違和感に気づかず、和やかに夜の静寂を楽しんでいるのである。ジルファリアは思わず足を止めた。
 広場にはやはり露店が並んでいたし、テーブルや椅子を並べて飲食を楽しむ者も多くいる。黄昏星が消えてしまっていることや、何か嫌な気配が立ち込めていることには全く気がついていないようだった。
 そんな人々を横目にジルファリアはまた王城へ向けて足を進めた。

 __何故皆、何も感じていないのだろう?
 そんな思いと同時に、ジルファリアは先ほどから纏わりつくような嫌な気持ち悪さが、王城に近づくにつれてどんどん色濃くなっていっているのを感じていた。
 首筋を走る痛みと、内臓が迫り上がってくるような圧迫感。少々広めの額にはじっとりと嫌な汗が滲んだ。
 そして王城がすぐそこまで迫ってきた時、ジルファリアはひとつ気になっていたことを思い出したのである。

 (これ、どうやって城に入ったらいいんだ?)

 そうなのだ。
 王城は城下町のちょうど西側に立っているのだが、その周りを湖が取り囲んでおり城の正門は一箇所しかない。
 そしてその門はいま目の前に見えている大きな吊り橋の向こう側にあるのだ。当然、橋の前には衛兵たちが見張として立っているはずだ。
(こないだおっちゃんと来た時は、招待されてたから何も思わなかったけど……)
 思わず自分の格好を見る。
 夕餉の時間を飛び出してきたのだ。着ているものはいつもの質素な普段着で、もちろん王宮に入らせてもらうには不釣り合いだ。
 前は立派な招待客であった為なにも問題なかったが、今ではただの不審者である。

 途方に暮れたジルファリアはひとまず橋の袂まで行ってみることにした。
 なるべく足音を立てないように近づくと、ほんのりと常夜灯に照らされた衛兵の詰め所が見えてきた。
 いつ兵士たちに見つかるかとヒヤヒヤしながらジルファリアは歩を進める。
 しかしながら、あわよくば兵士たちが休憩時間中で、その隙に吊り橋を走り抜けられないだろうかといった甘い考えも持っていた。
 そうやって詰所に近づくと不思議と静かで、いささか不気味さすら感じる。
 首を傾げたジルファリアは息を殺して小窓から中をそっと覗いてみた。
 中はどうという事のない普通の小屋の室内だった。木造の壁には衛兵が使うのであろう長い槍や剣が立てかけられており、厳めしい兜も壁面に並んで掛かっていた。薄ぼんやりとした明かりを頼りに部屋の中に視線を走らせる。

 「……っ?!」

 そして突然飛び込んできた光景に思わず息を呑んだ。

 その床には、鎧を纏った兵士たちが二、三人転がっていたのである。
 うつ伏せになっている為こちらからはよく見えないが、何者かに襲われたような有様だった。
 ジルファリアは慌てて入り口に回り込むと中を覗き込んだが、その様子にウッと呻き声を上げた。
 倒れた兵士はカッと目を見開いた状態で倒れていたのだ。驚いたように開かれた口からはヒューヒューと細く息を吐き出すような音が聞こえてくる。
 これが呼吸音なのであれば彼らはまだ生きているということか、とジルファリアは安堵の息を漏らした。だが、このまま放っておくわけにもいかない。どうしようかと考え込んでいると、背後に誰かが立つ気配がした。

 「ジル君」

 びくりと身体が跳ねすぐさま振り返ると、そこには見知った赤毛の騎士が立っていた。
「た、タチアナ……?」
「ジル君、どうしてここへ……?……っ!」
 首を傾げたタチアナの視線が詰所の入り口に移ると、彼女もまたジルファリアと同じような表情になった。すみませんとジルファリアの肩を押すと、詰所の中へ入る。そして兵士たちの傍らにしゃがみ込み深々とため息をついた。
「……遅かったか」
「タチアナ。遅かったって一体……」
 辛抱たまらず訊ねたが、彼女は何も答えず立ち上がる。
 先日会った時の温和な表情とは打って変わって、とても厳しい視線でこちらを見つめた。
「ジル君こそ、ここへ何の用ですか?しかもこんな夜更けに」
 その問いと注がれる視線で、自分が疑われているのだとジルファリアは勘付いた。反射的に首を横に振る。その反動で首筋がまたずきりと痛み、それがこめかみにまで広がった。
「ち、違うぞタチアナ!オレは、あの時みたいに嫌な気配を感じたんだ」
 そう説明する間にも、ずきんずきんとした痛みが頭部を襲い、ジルファリアは顔を顰めた。
「……あの時?」
「そう、マリアを助けに裏街の時計塔に入った時だよ。あの黒頭巾のヤローに襲われた時だ」
 ハッとした顔でタチアナがこちらをまじまじと見つめる。どうやら疑いが少し晴れてきているようだ。ジルファリアは畳み掛けるように捲し立てた。
「オレ、母ちゃんとケンカしてさ、家を出てきたんだ。信じてもらえるか分かんねぇけど……家出の途中からなんか変な感じが、たぶん王宮の方から感じてきてさ。それでここまで来たんだ」
 この違和感を上手く伝えられる術がなく、ジルファリアは必死の思いで訴えたが、どうやらタチアナは理解してくれたらしい。表情を和らげるとしゃがみ込んでこちらに目線を合わせてくれたのだ。
「マリスディア様が心配で?」
 その問いに頷きながら、ジルファリアは顔を上げる。
「それにさ、タチアナ」
 そして夜空に向かって指を差した。
「なんで、今夜は黄昏星がないんだ?」
 タチアナが息を呑み、一瞬こちらから目を逸らした。「それは……」と言いかけるも口を噤む。
「オレ、マリアだけじゃなくてウルファスさまにも何かあったんじゃないかって思って、心配で」
「ジル君」
 タチアナが短く呟くと、ジルファリアの手を取った。
「私に付いて来てくれますか?ウルファス様のところまでご案内します」
「え、……でもいいのか?オレが城に入ったりなんかしても」
 頷いたタチアナがすっくと立ち上がる。ジルファリアは「でも……」と詰所を振り返った。ウルファスのことも心配だが、ここに転がっている兵士達のことも気掛かりだった。そんな様子を読み取ったタチアナが安心させるように頷く。
「大丈夫ですよ、ジル君。王城に常駐している治療士達を呼びますので」
「そっか!それなら安心だ」
 ほっとしたジルファリアは、ぐっと力を込めて吊り橋の向こうに聳え立つ王城を見上げた。
「それでは行きましょう、ジル君」
 そう言うと、タチアナは先導切って走りだし、ジルファリアはそれに続いた。

「実は……黄昏星が消えているのは、なにも今夜に限ったことではないのです」
 吊り橋を駆けていると、タチアナが口を開いた。
「え?」
「ここ最近、王都でも肌寒いと感じる日はありませんでしたか?」
 タチアナの言葉に、あっと声を上げる。
「あったぞ。今日も寒かった」
「そう。いつも暖かいはずのこの国が寒いのは、黄昏星が消えたことでこの地が常春の力を保てなくなったからなのです」
「どういうことだ?」
「セレインストラのあるこの三角大陸は、もともと温暖地帯ではあるのですが、それでも寒い季節や暑い季節が存在します。この国は黄昏星の影響で、春のような穏やかな季節が常に流れているのです」
 それがこの国が常春の国と言われる所以だったのかとジルファリアは頷いた。
「ですが黄昏星の外側……つまり他の国では普通に季節が流れていく。春もあれば夏もあり、秋や冬が訪れます」
「そうなのか」
「そして、外側はいま冬の季節です。黄昏星の力が弱まっていることで、その冬の空気が流れ込んで来ているのですよ」
「……弱まっている?」
 頭痛が響く中走り続けているせいか、息も切れ切れにジルファリアが聞き返した。
「それって、ウルファスさまに何かあったってことなのか?」
 前を行くタチアナの表情こそ分からないが、何となくジルファリアは嫌な予感がした。
「それは、我々従者にも分からないのです」
 しばらくの沈黙の後やっと聞こえたその声は、随分と暗く聞こえた。
「ただ、最近のウルファス様はお身体の調子が芳しくないことがあって、そんな時は今夜のように黄昏星の力が弱くなってしまうのです」
「そんな……」
「そして聖王様のお力を狙った何者かがいるのではないかと推察して、私が衛兵の詰所に行った時に……」
「オレに会ったってことか」
「はい。なので、ジル君がこの王城に何か良からぬ気配を感じたというのであれば、力になっていただきたいと思いました」
「わかった!」
 ジルファリアが力強く頷いた時、ちょうど二人は王城の正面に辿り着いていた。
「さぁ、ジル君。行きましょう」
 タチアナが門扉の衛兵に声を掛けると、分厚い扉が鈍い音を立てて開かれた。

 玄関ホールに入ったタチアナは、足早に左手の方へと進む。確かこの先が王族の居住する王宮に繋がっていたと、ジルファリアも記憶を辿りながら後に続いた。廊下の床に敷かれた絨毯が柔らかく、足の裏を包み込んでくれる感触が走り続けた疲れを取ってくれるようだった。規則的な間隔で灯る常夜灯の光が今にも消えそうに見え、余計に不安を掻き立てた。

 一体ウルファスはどのような状態なのだろう。マリスディアは無事なのだろうか?

 そんな逸る気持ちでジルファリアはタチアナの背中を見上げた。
 王城に着いて幾分か落ち着いてきたものの、未だに纏わり付く気持ち悪さと首の痛みは取れていない。
 きっとここに、その原因となるものがいるに違いない。
 ジルファリアは確信していた。

 「どうぞ、ジル君」
 先を行っていたタチアナが正面にあった大きな扉を開く。
 そうだ。ここは前にウルファスに初めて会った応接間だとジルファリアは思い出した。

 座り心地の良さそうな長椅子に、黒い木製の長机が見える。
 壁際には、普段だと暖かな火が燃えているのであろう大きな暖炉が存在感を放っていた。今では暖炉の火は消えており、燭台の灯だけが心細くゆらゆらと揺れ、部屋の様子はとても暗かった。

 ジルファリアがタチアナに続きそこに足を踏み入れると、すでに何人かの大人たちが長椅子の脇に集まっていた。

 「タチアナ様」
 その中の一人が、こちらに気がつき声をかける。彼女は頷いて一言返した。
「やはり手遅れだった。正面の橋から破られたようね」
 それが、先ほどの倒れていた兵士たちのことだと気がつく。
「ではやはり、何者かが……」

 「タチアナ、遅い」

 そんなやり取りを遮るように鋭い言葉が飛んでくる。
 それはきんとした冷たさの混じった声で思わず身を竦めた。そしてジルファリアはその声に聞き覚えがあり顔を顰めた。
 声の主はその集まる大人達の中心から聞こえてきたようだ。
「申し訳ない、ヒオ」
 全く動じない様子でタチアナがその輪に近づくと集まっていた大人達が道を開け、その中心に誰がいるのかが見て取れた。

 「ウルファスさま……」
 ジルファリアの声が漏れた。

 長椅子の横にはウルファスが倒れており、灯に照らされた顔は土気色をしていた。苦しそうな表情で目を閉じ、胸を手で押さえている。
 その傍らには白いローブを着た青年が膝をついており、ウルファスの額に手を翳しているところだった。その形の良い唇からは何やら難しい言葉が紡がれ、ジルファリアはそれが魔法だとすぐに気がついた。
 そしてその術者が、あの時マリスディアに辛辣な言葉を投げつけていた青年だとも気がついたのだ。確かマリスディアも彼をヒオと呼んでいた。
 ヒオの手元からは小さな光の粒がぽろぽろと溢れ落ち、ウルファスの額にするりと溶け込んでいく。
 それはとても不思議な光景で、ジルファリアはただ呆然と見つめていた。

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この記事を書いた人

ファンタジー小説が好きです。
読むのも書くのも好きです^^

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