宵闇の魔法使いと薄明の王女 6−1

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六章;黄昏の王

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 「ほぉー……」
「すげぇっ!すげぇぞサツキー!王宮ってこんなとこなのかー!」

 「くぉらお前らっ!静かにせいっ」
 その白く眩い城壁を見上げながら騒いでいる子どもを一喝するラバードの声が高らかに響いた。
「騒がしいのはジルだけやで、おやじ」
「てか、おっちゃんの声が一番でかいぞ?」
 呆れたように振り返る二人の視線に、ラバードは目を泳がせた。が、すぐに咳払いをし襟を正す。
「い、いいかお前たち。ここは王城の中でも王族の方々が住まわれている王宮や。くれぐれも失礼のないように、舞い上がるなよ」
「一番舞い上がってるのは、おっちゃんだと思うんだけどな」
「うるせー、ジル!」
 衛兵たちの死角でラバードはジルファリアを軽く小突いた。
「それでは、そろそろご案内してもよろしいでしょうか?」
 笑いを噛み殺したような表情で、こちらを見ていた女性騎士が進み出た。彼女は確かマリスディアをラバードの家まで迎えに来た騎士だったような気がする。確か名前は……、
「私はマリスディア様の護衛も務めております、タチアナと申します。ラバード殿、その節は誠にありがとうございました」
 タチアナが深々と一礼をすると、後ろで束ねられた鮮やかな赤い髪がふわりと弾んだ。顔を上げた彼女は人懐こい笑顔をしており、とても話しやすそうだ。
「どうぞこちらへ。ウルファス様もマリスディア様もお待ちですよ」
 そう言いながら片手を掲げるタチアナに、ジルファリアは目を丸くする。
「マリアと……ウルファスさまにも会えるのか?」
「こらジル!タチアナ様になんて口の利き方だっ!」
「いいのですよ、ラバード殿。私もマリスディア様のご友人とお話ししてみたかったので、親しみやすい話し方をしてくれると嬉しいです」
 タチアナがにこにこと笑顔を見せると、ジルファリアも顔を輝かせた。
「うん!よろしくな、タチアナ!」
「はい、ジル君。よろしくお願いいたします。ジル君のことは、マリスディア様から何度も聞いていますよ」
 ジルファリア達を先導しながら、タチアナは話してくれた。
「マリアが?」
「ええ、ハイネル様の屋敷の塀にジル君が登ってきた事ですとか……」
「……ほぉ」
 タチアナの話に、ぴくりと眉を上げながらこちらを睨むラバードの視線が痛い。思わずジルファリアはサツキの影に隠れた。そんな様子に気づかずタチアナが続ける。
「後はなんと言っても、馬車でマリスディア様が連れて行かれてしまった時と、裏町での事と。ジル君が二度も助けてくれた話はいつも盛り上がりますねぇ」
「盛り上がる?」
「マリスディア様がそれはそれは嬉しそうにお話ししてくださるんですよ」
「……そうなのか」
 なんだか照れ臭くなりジルファリアは鼻を掻いた。その様子を見ていたタチアナが微笑む。
「ジル君と出会えたこと、お二人と友人になれたことを姫様は喜んでおいででした」
「お姫さんが?」
 サツキが聞き返すと、彼女はこくりと頷く。その笑みは少し悲しそうな表情をしていた。
「マリスディア様は、小さなときからいつも一人でいらっしゃって、同じ年頃の友人がいませんでしたから。我々臣下の前では気丈に振る舞われていましたが、一人になった時にこっそりとお部屋で泣いている姿も見えたのです」
 ジルファリアもマリスディアの寂しそうな表情を思い出していた。
「マリスディア様には、従兄弟である王子がお一人いらっしゃるのですが、その方も少し歳上である上にお忙しくされていて、なかなか一緒に遊ぶ機会もないのです」
「そういえば、ウルファスさまの妹君ファミールさまに、一人息子がいてはったな」
 サツキが相槌を打ちながら呟く。さすが普段から新聞を読んでいるだけのことはあると、ジルファリアは感心した。
「それに、マリスディア様が同じ歳くらいの子と遊びたくても、相手のかたがどうしても王女であることを気遣ってしまい遠巻きにされてしまって。結果、なかなか親しくなれないことばかりでした」
「まぁ、普通は気軽に遊んだりできへんよな」
「そんな中、ジル君がマリスディア様の心に踏み込んで入って来てくれたことが、王女は本当に嬉しかったようなのです。今までそんな子は一人もいなかったので」
 心底嬉しそうな表情でタチアナがこちらを振り返ったが、反対にサツキとラバードは呆れ返ったような顔でこちらを睨んでいた。
「まぁ、お前は“普通”が通じひんもんな………、なんつーか相手の都合なんかお構いなしに、ずかずか入り込んでくるっちゅーか」
「全く。ハイネル様の屋敷の塀に登り、なおかつ図々しくも王女に気安く声をかけるとは」
「な、何だよ……」
 二人の視線に耐えかねて、ジルファリアが唇を尖らせる。
「いいんですよ、ジル君のそういう気さくなところが王女には必要だったのですから」
「いやいやタチアナ殿、こいつのこういう所は気さくとかそういう類ではなくて……」
「ふふ、着きましたよ」
 そう微笑みながら、タチアナが辿り着いた扉の前で立ち止まった。
 途端にラバードが口を噤み、その表情には緊張が走る。

 そんな三人の表情を確認したタチアナがこっくりと濃い色をした木製の扉をノックすると「はい」と聞き覚えのある声が聞こえた。
 「失礼いたします」とタチアナが扉を開けると、不躾にもジルファリアは首を伸ばして室内を覗いた。

 「マリア!」
 そしてすぐ見えたその姿にぱっと顔を輝かせる。彼女は扉を開けたすぐそこに立っていたのだ。
「ジル」
 彼女もまた嬉しそうな表情で出迎えてくれた。タチアナがすぐに脇に身を寄せると、駆け寄ったジルファリアと一緒に手を取り合う。
「来てくれてありがとう。サツキも、ラバード様も本当にありがとうございます」
 ジルファリアが向けた手のひらを握り返したマリスディアは、その後ろのサツキたちにも会釈をした。恐縮した様子でラバードもまた深々と頭を下げる。
「マリスディア様、このような勿体無い時間を設けてくださり、ありがとうございます」
「いいえ、皆さんにお会いしたかったのは、わたしだけではないのです」
 彼女はジルファリアに目配せをした後、窓際を振り返った。

 「父です」

 その言葉に、ジルファリアははっと息を呑んだ。
 正面の大きな窓ぎわに誰かが立っている。差し込む逆光のせいで見えづらかったが、こちらを向いているその人は背が高く、白い衣服を身に纏った男性だった。

 「初めまして」

 その穏やかな声が耳に届いた。
 柔らかく温かい、じんわりと心に響き安心させてくれるような声だった。
 彼がこちらへと歩み、ようやくその表情が見えるところまで来た。
「ウルファスさま……?」
 そう訊ねる声が思わず上擦ってしまう。
 何度か肖像画や遠目で見たことはあったが、こんなにはっきりと顔の輪郭までが見える場所で対面したのは初めてだった。
「そうだよ、ジルファリア」
 そう笑いかける彼を見て、ジルファリアは「マリアに似てる」とすぐに感じた。
 柔らかく微笑む表情はとても優しく、また、金の睫毛に縁取られた菫色の瞳がとても美しく理知的に見えた。
 マリスディアと同じ王族の象徴である金糸の髪は肩で切り揃えられており、微笑んだ際にさらりと揺れた。
「目の色は違うけど、マリアは父ちゃん似なんだな」
 などと心の声が思わず口から飛び出してしまった。目を細めたウルファスが首を微かに傾けた。
「そう感じるかい?」
「うん。だって、すげー綺麗だ」
「えっ?」
 隣にいたマリスディアが仰天した声を上げ、顔を真っ赤に染める。
「え?……あ!違うぞ?金色の髪が綺麗だっていう話で……」
「……なんだ」
 途端に目を細めたマリスディアがこちらをじろりと睨みつける。後ろのサツキは呆れたようにため息をついているし、壁側に立っているタチアナに至っては心なしか肩を震わせている様に見えた。
「え、なんでそんなに怒んだよマリア」
「知らない」
 そっぽを向いてしまった彼女にジルファリアは狼狽えるが、すかさず後ろに立っていたラバードがその後頭部を小突いた。
「アホか、お前」
「えー?おっちゃんまで、なんでだよ」
「お前はほんまに無神経やからなー」
 サツキも慰めるようにぽんぽんとジルファリアの肩を叩いた。その真意が分からず、ジルファリアは髪を掻く。
 そんな様子を静かに見つめていたウルファスがくすくすと笑いだした。
「ふふ、想像以上に君たちは娘と仲良くしてくれているんだね。ありがとう、ジルファリア、サツキ」
「ウルファスさま」
「私はマリスディアがこんなに怒るのを見たことがないよ。マリア、案外怖いんだね、君は」
「お父さまったら」
 慌てた様子でマリスディアがこちらを振り返った。からかうような表情で、ウルファスが肩をすくめる。
「怒った姿はリアーナそっくりだよ」
「お母さまに?」
 こくりと頷くとウルファスは彼女に歩み寄り、その髪を撫でた。
「リアーナも亡くなって、その上、私も公務でなかなかマリアと一緒に居られずでね。とても寂しい思いをさせてしまっている」
 その表情は悲しそうで、また、申し訳なさそうにも見えた。
「だから、こんな風に娘に気兼ねなく接してくれる友だちができた事が、私も嬉しいんだ」
 彼はこちらに笑顔を向けると、もう一度ありがとうと言った。
「それに……」
 そこで言葉を一旦切ると、ウルファスはラバードに向かって微笑みかける。
「幾度となく、本当にありがとう」
「ウルファス様」
 ラバードは背筋を伸ばした後、恭しく膝をついた。
「職人街でマリスディアを保護し、匿ってくれたことも」
「勿体無いお言葉でございます」
 その姿を見ながら、ジルファリアは「また役人もどきのおっちゃんになってるな」と感じていた。それほどまでにきびきびとした動きで、いつものだらしない姿など微塵もなくなっていた。
「それで、私が取り逃してしまった者はその後……?」
「うん、その話もしたかったんだ。調査は続いているけど、難航していてね。よかったらタチアナと一緒に今から執務室へ来てくれないかな?」
「私にも手伝わせていただけるのですか?」
「勿論だよ、とても助かる」
 ウルファスがラバードに向かい、深く腰を折った。その姿を見たラバードは恐縮したように立ち上がる。
「さぁ、それではマリア。ジルファリア達を東屋に案内しなさい。お茶の準備もできているから」
 ウルファスはマリスディアにそう伝えると、彼女も「はい」と頷いた。
「あずまや……?」
「わたしがよく居る中庭なの。東屋には椅子やテーブルを置いているから、そこでお茶しましょう」
「ふぅん」
 聞き馴染みのない名前に、その場所の想像もつかなかったジルファリアは適当に相槌を打った。
「あ、あの、ウルファスさま」
 その時、今まで静かに黙っていたサツキがウルファスに声を掛ける。
「何だい?サツキ」
「王城の敷地内に、王立図書館があるって聞いたんですが」
 流石のサツキも聖王相手だと緊張するらしく、訛りを隠すように不自然な発音の上、手元をもじもじとさせている。
「うん、正門を入ってすぐの所にあるよ。サツキは図書館へ行きたいのかい?」
「あー、……はい。国民にも開放されてるって聞いたんですが、閲覧の許可がもらえるのは学生になる歳からだって聞いたんで……」
「そうだね。分かった、それじゃあこれを持っていくといいよ」
 そう言うと、ウルファスが手元にあった紙に何かを書くとサツキに渡した。それを読み上げたサツキが思わず彼を見上げる。
「特別きょか……、ほんまにいいんですか、ウルファスさま?」
「勿論だよ、それにその歳で本に興味があるのはとてもいいことだ。役に立てれば幸いだよ」
「あ、ありがとうございます!」
 頬を紅潮させているサツキを見、さすが勉強家なヤツだとジルファリアは感心した。自分は本などよりもお茶や茶菓子の方に興味があった。
「じゃあ、タチアナ。私の執務室へ行く前に、サツキを図書館まで案内してくれるかな?」
「かしこまりました。では、サツキ君、行きましょう」
 快く頷くと、タチアナがサツキを促した。
 こちらを振り返ったサツキは、心底嬉しそうにこちらに向けて手を振った。
「それじゃあジル、わたし達は中庭へ行きましょう」
 サツキに応えて手を振り返していると、同じく手を振っていたマリスディアがジルファリアの袖を軽く引っ張った。

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ファンタジー小説が好きです。
読むのも書くのも好きです^^

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