「やっぱりおっちゃんは炎の魔法がうまいんやなぁ」
サツキの言葉に我に返る。
目の前にいつの間にか置かれていた木皿の上にはアドレ特製のクラケットが山盛りに盛られていた。
「へへっ、まぁパン屋だけにな。けど、これしきで上手いなんて思っちゃならねぇよ。やっぱり宮廷とか、アカデミー出身のヤツらは桁違いだかんな」
「アカデミー?……ああ、学生街にある魔法学校の事かぁ」
サクサクと音を立てながら、サツキがクラケットを頬張っている。
ジルファリアは、学生街の奥に広がる大きな森を思い浮かべた。そのまた奥に煉瓦造りの大きな学舎が建っているのを何度か見に行った事がある。あれが王立の魔法学校__通称【アカデミー】であった。
「まぁ、あたしら庶民は大体が寺子屋で魔法を習うけど、やっぱりアカデミーで勉強したほうが本格的に魔法を使えるからねぇ」
生活の支えとなる程度の魔法であれば、町に点在する寺子屋と呼ばれる小さな学舎で学ぶことができるのだ。
王都に住む子ども達の大体が寺子屋に通い、簡単な魔法の使い方を学ぶ。ジルファリアもサツキも相応の年齢になれば通うことになるだろうが、ジルファリアの頭の中にはいつもあの赤煉瓦の学舎がちらついて離れなかった。
「アカデミーに通うには、難しい試験が必要やっておやじから聞いた事があるわ」
そんなサツキの言葉に肩を落とす。
「ま、ちっちゃい時から英才教育を受けてるような貴族の坊っちゃまとか、由緒ある魔法使い一族の御息女とかが通うんだろうな」
パドも相槌を打ちながら腕組みをした。
「結局のところ、選ばれし人間なんてのはこの職人街に居ないってこたぁな」
「……そんなの、分かんねぇじゃん」
そんな父の言葉に反発するかのように、思わずぽつりと呟く。
「ジル?」
「職人街にだって魔法の上手いやつがいるかもしれねぇだろ?魔法の力はみんな平等に持ってるんだからさ」
ジルファリアの思惑を汲んだサツキは慰めるような表情で苦笑した。
「まぁ、否定はせんけどな」
「だろ?試験だってアカデミーだって、誰にでもチャンスはあると思うんだよ」
「……まさかジル。あんた、アカデミーに通いたいなんて思ってやしないだろうね?」
しばらく黙っていたアドレがジロリとジルファリアを一瞥する。その視線にたじろいだジルファリアだったが、負けじと睨み返した。
「行きたいって思ってたら悪いのかよ」
「あぁ、駄目だね。あたしらは普通のパン屋だ。魔法の才能もないような庶民が仮に試験に合格してアカデミーに入れたとしても、後で恥をかくだけだよ」
「でも母ちゃん!」
「いいかいジル。あんたはここでパドの跡を継ぐんだよ。毎日来てくれるお客さんが喜んでくれるようなパンを焼き続ける事があんたの幸せなんだ」
「そんな……、なんで決めつけるんだよ」
思わず言葉尻が小さくなるジルファリアの横で、サツキが思い出したように切り出した。
「けど確か……、リアーナさまも庶民出身やったような気がするんやけど」
「リアーナさま?」
どこかで聞いたような名前だとジルファリアは首を傾げた。
「ウルファスさまの奥さんや」
「ウルファスさまの、ってことは王妃さまってことか」
現代の聖王国を守護している聖王ウルファス。
その奥方であるリアーナは、出自がごくごく普通の町民であり、実家もごくごく普通の飲食店を営んでいたはずだとサツキが話した。
「ま、二、三ヶ月前くらいに亡くなってしもうたけどな」
「そうなのか?」
「おまえはほんまに何も知らんな……」
国の大事くらいちゃんと把握しとけと、サツキは呆れたようにため息を吐いた。
「ウルファスさまくらい強い魔法の力を持ってはったと思うで」
「そうなのかー……」
キラキラとした瞳で思いを馳せているジルファリアの隣でアドレが眉間に皺を寄せた。
「サッちゃん、焚きつけるような事言わないどくれ」
「ごめん、おばちゃん」
肩をすくめてサツキが舌をチラリと見せた。
「この子は何でもすぐ調子に乗るんだからね」
「何だよ、オレだってもしかしたら魔法の才能があるかもしれねぇだろ」
「リアーナ様はリアーナ様だよ。あんたとは違うのさ、ジルファリア」
「やってみなきゃ分かんねぇじゃん」
「お前はまだ子どもだから分からないんだよ!」
「けど!……オレは好きなんだ、魔法が」
激しく言い返したジルファリアだったが、噛み付かんばかりのアドレの勢いに気圧されてしまう。
「アドレ、気持ちは分かるが、ジルの意志も尊重してやろうや」
今まで黙って様子を見ていたパドが嗜めるようにやって来た。
「けどね、パド」
「物心つく前からずっとこいつは俺の火の魔法をじーっと眺めていたじゃねぇか。飽きもせず、窯焼きの時間だけは絶対に工房に入ってきてたよな」
そう言って、パドはジルファリアの頭の上にぽんと手を乗せた。
「それこそ才能や好きなものなんてのは、授かり物だ。パン焼きの俺たちとは違う。ジルファリアの天命がなんなのか、見守ってやろうじゃねぇか」
な?とジルファリアに微笑みかけると、パドはそろそろ焼けたかなと工房へと踵を返した。
「全く、パドはジルに甘いんだから」
未だ不満げではあったが諦めたようにアドレはため息を吐き、パン袋をバサリと広げた。
「あんたが魔法に対して本気だったら、またその時に話をしようじゃないか。言っておくけど、アカデミーはそんなに甘くないからね!」
そう言い捨てると、パドの手伝いをしに後を追った。
「……何で母ちゃんはあんなにアカデミーのこと反対すんだろうなぁ」
むぅと頬を膨らませたジルファリアは母の背中を軽く睨む。
「まぁ、実際入学試験は難しいって聞くしな。おまえが自信がなくなって激凹みになるのが可哀想で心配なんちゃう?」
「何だよサツキまで。やってみなきゃ分かんねぇだろ」
むすっとしたままの表情でサツキにも非難の目を向けると、彼は肩をすくめて見せた。
「まぁまぁ、いつまでも不貞腐れんと。ちょっと出かけへん?」
「行く!」
サツキのそんな提案に上機嫌で返すジルファリアを、素直なやっちゃなーと返した。
奥からほかほかと蒸気のたったパン袋を抱えて出てきたパドとアドレに礼を言い、サツキはジルファリアの手を引いた。
「おっちゃん、おばちゃん、ちょっとジル連れて行きますねー」
「おう、行ってこい!キリングにもよろしく言っといてくれよ」
にかりと笑うパドに見送られ、ジルファリアはサツキと我が家を飛び出した。
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