宵闇の魔法使いと薄明の王女 5−3

 重々しい音を立てて大きな扉が開き、二人が礼拝堂の中へ入ると少しかび臭い匂いが鼻をついた。
「教会って古臭い匂いがするんだな」
 ジルファリアが物珍しそうに室内をきょろきょろと見回している。
 向かって左右の壁面全体に張り巡らされた色とりどりの硝子窓がとても美しく、朝日を受けて木張りの床にその色彩を落としていた。
 正面の壁には、この世界の創造主とされるフィルフィオネという名の神を象ったレリーフが施されている。
 二人は、レリーフを正面に向かい規則正しく並ぶ長椅子の間を歩いていた。
「この椅子、結構年季入ってるな」
 なるほど、長椅子の背もたれを触ってみると古びているのがよく分かる。
 備品などに資金を使えていないあたり、教会の経済状態などはあまり芳しくないのだろう。確かに先程のサリという少女の服装などからも、慎ましやかな暮らしをしているように見えた。
 信奉者から寄付をせしめたりする悪徳教会などもあると聞く中、この大きな教会はそんなことがないのだろうと、サツキは話してくれた。ジルファリアには何のことだかさっぱり分からなかったが、適当に相槌を打っていた。
「なぁサツキ。礼拝じゃねぇんなら、ここに何の用があるんだよ?さっきあいつに“いつも聴いてる”だなんて言ってたけどさ」
 正直なところジルファリアには全く興味の湧かない場所なのだ、この教会というところは。特に静かにしていて当たり前だという暗黙の規則が感じられ、非常に落ち着かない。長椅子の端に座るサツキなんかは居心地が良さそうに鮮やかな色硝子の窓を眺めているが、自分にとっては何の面白味もない。もはや苦痛でしかないのだ。
「何の用って……お前、ほんまにおれの話聞いてへんねんなぁ」
 呆れたようにため息を吐くと、まぁいいから座って待っとりと、隣の席をぽんぽんと叩いた。促されたジルファリアも渋々と座り込む。
「……なんか腹へった」
「おまえはほんまに黙っとれんなー……。ちょっと静かにしとってくれへん?」
「これ終わったら広場で何か食おうぜサツキ」
「はいはい……」
 こういうやり取りが、サツキ曰く彼の苦労とするところなのだろうが、当のジルファリアは何も気づいていないようだ。
 隣のサツキが目を閉じてしまったので、ジルファリアは手持ち無沙汰になってしまった。静かにと言われてしまったのでもう話しかけられない。仕方なく彼はそっと立ち上がると、礼拝堂の中を歩いてみることにした。
 もう既に堂の中は修業者や、近所から来ていると思しき町民たちで椅子が埋まりつつある。
 みんな信心深いんだなと心の中で感心しながら、ジルファリアは正面の祭壇に近づいた。
「フィルフィオネ……」
 レリーフの下に貼られているプレートの文字を読む。
 この創造神の名前は、世界中の常識と言っても過言ではないくらい人々に周知されている。
 フィルフィオネが登場する一番有名どころの神話で言うと『創世記』という世界の始まりを描いた物語なのだが、これは子ども向けに絵本化もされており、ジルファリアの部屋にも本棚に仕舞われているくらいだ。それくらい有名な神さまだと言うことは、ジルファリアも知っていた。
「おや、坊やはフィルフィオネ様に興味があるのかい?」
 突然声をかけられ、ジルファリアはきょろきょろと見回した。祭壇から一番近い長椅子にちょこんと腰をかけていた老女がこちらに笑顔をむけている。しばらく考えた後、ジルファリアは頷いた。
「フィルフィオネ……さまって、どんな格好をしてるのかなって考えてた」
 そんなジルファリアの言葉をふんふんと聞いていた老女は、そうだねぇと返す。
「坊やは、この教会は初めてかい?」
 こくんと頷くと、老女はそうかいと嬉しそうに微笑んだ。
「神様っていうのは、はっきりとしたお姿をお持ちでないのかもしれないねぇ」
「そうなのか?」
「ああ、誰もフィルフィオネ様のお姿を見た者はいないんじゃないかねぇ」
 頷く老女に、ジルファリアは壁面のレリーフを指差す。
「じゃあ、あの像はどうしてあんな形になってるんだ?」
「あれは、レリーフを彫った職人の、想像の中のフィルフィオネ様なんだと思うよ」
「想像……」
 明らかに落胆した様子のジルファリアに老女はここにお座り、とわずかに空いていた隣の席に促した。ジルファリアは素直に従いぴょんと座り込む。
「フィルフィオネ様は愛と平和の象徴。これは世界中の共通点さ」
「愛と、平和」
「そうだよ。世界中の人たちがそれぞれ心の中で思う、愛や平和の形があるだろう?」
「んー……」
 考え込んでいるジルファリアを見て、老女はふふっと可笑しそうに笑う。
「坊やにはまだちょっと早いかもしれないけど、それでもお父さんお母さんや、お友だちを大好きだって思う気持ちはあるだろう?」
「あるぞ。……喧嘩ばっかりしちゃうけど」
「おやおや。でもそれでいいんだよ。喧嘩をしても大事に思える人がいるって事は幸せなことさ」
「ふぅん……そうなのか」
「それで、その大好きだっていう気持ちを心の中で感じた時に湧き上がってきたものが、あのレリーフを彫った作者にとってはああいう形になったんじゃないかね」
 そう言って老女がレリーフを指差した。
「大好きな気持ちは、人それぞれ形が違うってことなのか」
「そうだよ。みんなそれぞれの形があるのさ。同じ形なんて一つもないのかもしれないねぇ」
 そんな老女の言葉を聞きながら、ジルファリアはじっとレリーフを見つめてみる。楕円形をしていたその姿は、彫刻師の表す愛と平和なのだろう。
「違うって、何か楽しいな」
 何故か晴れ晴れとした気持ちになったジルファリアは、老女を見上げる。
「坊やだったら、どんなフィルフィオネ様を作ってみたい?」
「オレだったらもっと楽しい感じにしたくて、たくさんいろんな形をくっつけそうだ」
「楽しそうだね。それも一つの、愛と平和なんだよ」
「そっか」
「それにね、フィルフィオネ様を表現するのは、なにも彫刻だけに限ったことじゃないのさ」
 そう言うと、老女は祭壇の裏手にある扉を指差した。視線を追うとその扉が開き、中から修道着を着た中年の男と先程外で会ったサリが進み出てきたのである。
 ジルファリアは周りを見回し驚いた。彼女たちが出てきた途端、ぴたりと話し声が止みしんとした静寂に包まれたからだった。

 祭壇のところに並んだ二人はそのまま礼拝堂に座るこちらに向かい一礼した。
 そして、サリが一歩前に進み出て、すぅ、と息を大きく吸ったのである。

 次の瞬間、とても澄んだ歌声が礼拝堂に響き渡った。
 それは突き抜ける様な青空を思わせるような声で、ところどころ異国の言葉も含まれていた。

 (そっか、サツキが前に言ってたやつだ)

 いつだったか、サツキが話していた人の心を癒す歌を歌う少女がいるという教会。
 それがここだったのだ。
 彼女がそうだったのかと、響く歌声の中でジルファリアは思い出した。

 確かに先程の生意気な態度とは想像もつかない美しい歌だった。
 ジルファリアは純粋に感心していた。

 「どういう意味の歌だったんだ?」
 彼女は歌い終えると、一人また扉の向こうへと姿を消した。感嘆のため息が溢れる礼拝堂の中で、ジルファリアが隣の老女に訊ねた。
「あれは、この教会の修道主であるセイジさんが作られた歌でね。歌を歌っていたサリさんのお父様なんだよ」
 なるほど、サリと一緒に入ってきて今祭壇の前に立っている男性がセイジという名なのだなとジルファリアは頷いた。
「愛と平和をもたらしてくださるフィルフィオネ様へ、感謝の気持ちを伝えた讃歌なんだそうだよ」
「感謝の気持ち……」
 そこで思わず先程のレリーフを見上げる。
「そうさ、あのレリーフがフィルフィオネ様を表現したものと同じように、歌という形でフィルフィオネ様を讃える人もいるんだ」
「ふぅん」
「そうやってみんなから愛されているんだろうねぇ、フィルフィオネ様は」
 にこにこと嬉しそうに話す老女を見ていて、ジルファリアは彼女もまたこの創造神が好きなのだろうなと感じた。
「それだけじゃないよ、聖王ウルファス様の作り出す黄昏星もフィルフィオネ様への感謝の気持ちから作られているっていう話さ」
 だからこの国はこんなに平和なんだね、と老女が続けた。
「ウルファスさま?」
 突然出てきたウルファスの名に、ジルファリアが飛び上がる。

 「魔法は、ありがとうの気持ちから作られる……」

 ぽそりと落とした彼女の言葉が、ジルファリアの耳に不思議と残った。
「どういうことだ?」
「ふふ、この国では有名な言い伝えだよ」
 そして老女は人差し指を立てて、シーっと息を漏らした。

 修道主セイジが、礼拝を始めるため両手を掲げたのだった。

+++

 朝礼拝が始まり少し経った頃、さすがに眠気が襲ってきたのか、ジルファリアはこっそりと礼拝堂を抜け、中央広場に出て来ていた。
 入った時から一刻くらい経っていたのだろう。広場には、数は多くないが朝市の準備がされていた。
 馴染みの野菜売りの老婦がいたので声をかけると、こないだのお礼だとファリアの実を譲ってくれた。礼を言い、ジルファリアは噴水の周りに置かれているベンチに腰掛ける。
 礼拝堂の中は人が多く少し暑かったので、出掛けは寒いと思っていた風がいまは心地よかった。

 「魔法は、ありがとうの気持ちから作られる」

 先ほど老女から教えてもらった言葉を反芻し、彼はファリアの実を齧った。
「どういうことなんだろう」
 ファリアの甘い果汁が口の中をじんわりと広がり、空っぽだった腹が満たされていった。
「ウルファスさまの魔法が、フィルフィオネへの感謝の気持ち、か」
 今のジルファリアには不可解なことだったが、とても興味が湧いていた。
「ウルファスさまにも会えたらいいな」
 そう言葉に落とすだけで、気持ちが昂る。会えたら色々と聞きたいことが溢れてきそうで、それもラバードに叱られてしまうかなと顔を顰める。失礼のない様にと、アドレからも言われたばかりだ。
「……マリアにも、また会えるかな」
 そうしてファリアの実をごくんと飲み込んだあと、ジルファリアの口元が綻んだ。
「友だちを大好きだって思う気持ち、か」
 老女の言葉をまたもう一つ思い出し、ぼんやりと王城の方に視線を移す。
 太陽の光を浴びて、白亜でできたその城は今日も美しかった。そんな風にぼんやりとしているうちに、自分の発した言葉の意味に気がついた。
「え?!いや、オレ、別にマリアのこと、そんな風に思ってねぇし。いや、大好き……とか、ないし。あいつのことは好きだけど、普通の友だちだし、うん。そうだぞ、うん」
 などと、顔を真っ赤に一人で騒ぎ出し、一人で無理やり納得しながら何度も頷いていた。

 そんな事をしていると、後からやって来たサツキに「何一人で喚いてんねん」と呆れられ、残っていたファリアの実を奪われてしまったのだった。

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この記事を書いた人

ファンタジー小説が好きです。
読むのも書くのも好きです^^

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