五章;響き渡る少女のanthem
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「え!オレたちが……」
「王宮に?」
マリスディア救出の日から数日経ったある日の事だった。
サツキを伴ったラバードが朝早くにジルファリアの家を訪れ、そこで王宮から招待された事を告げたのだ。
驚いたのは二人だけではない。カウンターのところで拭き掃除をしていたアドレも仰天したはずみでくしゃみをした。確かに今日は冷え込むなとジルファリアは袖をさする。
「ちょ、ちょっとどういう事なの、ラバード。どうしてジル達が王宮に?」
思考が追いついていないのか、アドレが目を白黒させている。
「こないだ話したやろ?ジルとサツキが、誘拐されかけたマリスディア様を助けたって」
「ええ!あれ、本当の話だったのかい?」
素っ頓狂な声でアドレが叫んだ。彼女は記憶を辿るように困惑したまま目を閉じた。
「あのときはジルまで真面目な顔してたから、ラバードと一緒になってあたし達をからかってんだとばかり……」
「そんなわけないだろ」
頬を膨らませながらジルファリアが不貞腐れた。
「ホントだって言ったのに」
「アドレ、嘘みたいな話やけどホンマなんや。現に昨日王宮から仕えの者が来て、俺たち三人に礼がしたいて呼び出しがあった」
「そうなのかい」
さすがに申し訳ないと思ったのか、すまなそうな表情でアドレはジルファリアに目をやった。
「けど、王宮に行けるような立派な服なんて、うちにはないわよ」
「安心しろ、うちも無い。向こうかてそんな事は百も承知や」
「そうかい……。ジル、くれぐれも失礼のないようにするんだよ。お城は遊び場じゃないんだからね。マリスディア様にお会いすることになっても、馴れ馴れしくするんじゃないよ。それから……」
「あー!もうわかってるって!」
納得した途端、小言を始めるアドレと渋い顔で耳を塞ぐジルファリアに、サツキが吹き出した。
「おばちゃん、ジルの事はおれが見張ってるから」
「サッちゃんがそう言ってくれるなら、安心だけど」
未だ困惑したような表情で、アドレは息子を見つめた。
「あ、だからさ母ちゃん。王宮行くとき、クラケット焼いてくれよ。こないだマリアにクラケットあげたらスッゲー喜んでたんだぞ」
「え!まさか、あんたが前に言ってたクラケットをあげたい友だちって……」
「うん、マリアだ」
「何だって!あぁ、こんな庶民の味を食べていただくなんて、失礼な事だったんじゃ……」
青ざめた表情でアドレが頭を抱えだす。まぁ、これが普通の反応よなぁとサツキが呟いた。
「母ちゃん、それは違うぞ。マリアは母ちゃんのクラケットを食べて、こんな美味しいクラケットは初めてだって言ってたんだからな」
「いや、けどね」
「いいから。マリアに作ってやってくれよ」
「っていうか、王女様のことをそんな風に気安く呼ぶんじゃないよ!」
悲鳴に近い声でアドレが叫んだ。どうやら相当混乱しているようだ。宥めるように微笑みながらパドが工房から出てくる。
「いいじゃねぇか、アドレ。せっかく王女様が美味しいって言ってくださったんだろ?
それに、クラケットは聖王国が誇る伝統菓子だ。王宮の菓子職人が作るものもアドレが作るものも、どっちも同じように食べてくれる人のことを思いながら作られたクラケットなんだ。だったら喜んで召し上がっていただこうじゃねぇか」
「そんなの社交辞令なんじゃないのかい」
「マリアはそういう事は言わねぇぞ」
パドとジルファリアに挟まれ、アドレは諦めたように頷いた。
「分かったわ。……ラバード、招かれている日はいつだい?」
「五日後だ」
「じゃあ腕によりをかけて、最高傑作のクラケットを焼こうかね」
決心がついたのかアドレは腕まくりをして工房へと戻っていった。その様子を嬉しそうな表情で見守っていたパドが、ジルファリアの髪を撫でる。
「外ではいろいろやらかしてると思ったが、王女様を助けるなんてすげぇじゃねぇか。俺は鼻が高いぞ、ジル」
「父ちゃん」
「喧嘩もいいが、今回みたいに困ってる人がいたら、助けてやるんだぞ」
ジルファリアが外で喧嘩や悪戯をしていても、父はいつも自分を認めてくれる。勿論、人の心や大切な物を傷つけた時は決して許してくれず、一緒に謝りに行ってくれた事もあった。厳しいところもあるが、とても優しい父をジルファリアは大好きだった。
「わかったぞ、父ちゃん」
大きく頷くと、パドも嬉しそうに頷いたのだった。
「ラバード、面倒かけるが、ジルをよろしく頼む」
「任せとけ!つっても俺もあんな煌びやかな場所に行くのは初めてやからな。こう見えてキンチョーしてるわ」
ガハハ、と大きな口を開けて豪快に笑うラバードを見ながら、ジルファリアとサツキは苦笑いした。
「おっちゃん、相変わらずだな」
「おれ達を助けに来てくれたときは別人みたいやったけど、結局あれからいつもどおりに戻ってもうたわ」
「そっか」
それでこそ洗濯屋の酔いどれおやじだと、ジルファリアも納得した。
「なぁ、ところでジル、今日はどっか遊びに行くんか?」
ラバードがパドと酒の話で盛り上がり始めたので、サツキがジルファリアに耳打ちした。そのいつになく前のめりな様子に、はてと首を傾げる。
「とくに決めてねぇけど……」
「せやったら、おれ行きたいとこがあるんやけど、一緒に行かへん?」
「べつにいいけど……」
いつも物事に対して無関心な事が多いサツキにしては珍しい。ジルファリアはその行き先に興味を抱いた。
「おい、サツキ」
「分かってるっておやじ。貴族街とか王城のほうには行かへんから」
すかさず疑わしげな視線を寄越してくるラバードを軽くかわして、サツキはこちらに目配せをした。
「ほな行こか」
「なぁサツキ、お前の行きたいところってどこなんだ?」
店を出た途端、ジルファリアが口を開く。
「ええところや」
「……んん?」
サツキのどこかうきうきとした表情に、怪訝な顔をする。彼に並ぶように足を進めると、照れたように笑った。
「前に言うたことあったやん、べっぴんさんに会ったて」
「そんなこと言ってたっけ?」
ますます疑問が湧いてきたジルファリアは首を傾げた。
「お前はほんま、自分の興味ないことには無頓着やなー」
「そんなことないけど」
「ともかく、今の早い時間帯やったらいい場所で聴けるかもしれん」
「はぁ?……聴ける?」
ジルファリアの問いには答えず、そそくさとサツキが歩く速度を速めた。
「あ、おいサツキ!」
いつも冷静ぶっている彼がここまで浮き足立つとは一体何事なのだろうと、ジルファリアは俄然興味が湧いた。
早朝の職人通りは店開きをしている店舗も少なく、いつもより人通りがない。そこかしこから、朝餉の準備の音やら騒がしい子ども達の声が聞こえてくる。ある家では、二階の窓から向かいの家の窓にかけて渡したロープに洗濯物を干し始めるおかみさんなんかも見えた。
店先で開店準備をしている鍛冶屋のおやじや、散歩をしている顔馴染みの老夫婦がジルファリアとサツキに軽く手を振ったので、二人も「おはよう」と返した。
朝日に照らされて白く光っている石畳の道を歩きながら、ジルファリアはここ数日不思議に思っていたことを口にした。
「そういえばさ、カラスのやつらはどうなったんだ?」
「カラス?……あぁ、カラス団のことか」
こちらをちらりとも見ずに、前方を見つめたままサツキが相槌を打った。
「あれから、ダンたちの姿も見かけないからさ」
いつもだと、二日に一回は石を投げてくるなり急に難癖をつけて殴りかかってきていたものだ。それが王女誘拐未遂の日からピタリと止み、それどころか彼らの姿を見ることがなくなっていた。
「城に連れてかれた」
「……え?」
「って、おやじが言うとった」
一瞬ぴたりと立ち止まり、サツキがこちらを見遣った。その言葉にジルファリアは面食らう。
「連れてかれたって、衛兵にか?」
「まぁそうなんちゃう?」
再び足を進め歩き出す。
「王女の誘拐は重罪や。主犯やないとはいえ、参考人として聴取されてんのとちゃう?」
「ちょうしゅ……」
また難しい言葉だぞと呟き、ジルファリアはげんなりとした。
「王女を攫った男たちも捕まったて聞いたけど、主犯の黒頭巾のこととか、王城のやつらは知りたいやろうしな」
「そっか、ダンたちは黒頭巾に会ってるんだよな」
「まぁ、大人たちは牢獄行きやろうけど、ダンたちはガキやからな、そのうち戻ってくるやろ」
「ふぅん」
戻って来たら来たで面倒臭いなと思ったが、当分は平和な日が訪れるという事か。
ジルファリアはうーんと伸びをすると、そのまま頭の後ろで手を組んだ。空を見上げると、今日も青空が広がっており良い天気のようだ。先程の洗濯物も風になびいてどことなく楽しそうに見える。
「っくしゅ……!」
そしてそんな風がいつもより冷たく、ジルファリアは先程のアドレと同じようにくしゃみをした。ぶるっと身体を震わせると、腕を掻き抱く。
「なぁ、何か寒くねぇ?」
「そういやそうやな。常春のセレインストラにしては珍しい」
自分よりも薄い生地の衣服を着ているサツキが随分と平気そうな顔をしている事に、ジルファリアは首を傾げる。
「お前、寒くねぇのかよ」
「おれ、寒さには割と強いほうやねん。ええやろ」
得意げに笑うサツキを見て、今日は変わって欲しいと思うくらい、ジルファリアは自分が意外と寒さに弱い事に気が付いた。
「ほんなら急ごか。建物の中に入ってまえば大丈夫やと思うで」
そして彼は、あの場所ならと呟いた。
「……あの場所?」
「ま、えーからえーから」
にんまりとした笑みに変わると、サツキは先導切って走り出した。
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