「それにしても、まさかオレにも魔法が使えたなんてなー」
時計塔から職人街の表通りへ向かう道すがら、ジルファリアは思い出したように感嘆のため息を吐いた。その様子はとても嬉しそうな表情で、今にも飛び上がらんばかりの勢いだ。
「おれはそれ、見られへんかったからなぁ。お姫さんは見たんやろ?」
惜しそうな声でサツキがマリスディアを振り返る。話を振られたマリスディアは、目立つ黄金の髪を大きめのショールですっぽりと覆い、別の意味で通行人から視線を集めていた。
「ええ、ジルは本当にすごかったわ」
ショールの隙間から琥珀色の瞳を覗かせると、マリスディアも嬉しそうに微笑む。
「普通聖王国では、最初寺子屋なりアカデミーなりで魔法の使い方を習うもんやけど、自分からひとりでに会得しちまうたぁな」
彼女の隣では、感心したようにラバードも頷いている。ジルファリアはますます得意げな顔で踏ん反り返っていた。
「お前さんはちっちゃな頃からパドの使う魔法にも興味津々やったから、その分魔法の目覚めも早かったんかもな」
「やっぱそう思う?」
くるりとラバードを振り返り、ジルファリアは瞳をキラキラとさせた。
「オレが炎の魔法を使えたのも、やっぱ父ちゃんの息子だからなのかなぁ」
にこにこと笑う彼をしばらくじっと見つめていたラバードは、そうやな、と頷くとその髪をくしゃりと撫でた。
「毎日あれだけ熱心に見てたんや。炎の神様だって、お前に力を貸してくれたんやろな」
「ええなぁ、ジル。せやったらジルのおばちゃん、アカデミー通わしてくれるかもしれへんで。才能あるかもしれへんやん」
「そっか!そうだよなぁ」
いい案だといった表情で、ジルファリアが顔を輝かせる。次の瞬間には、アドレに何て言って説得しようかと考え始めた。
「ジルは、アカデミーへ通いたいの?」
その様子を見ていたマリスディアが口を挟んだ。ジルファリアは背後のマリスディアに答えるようにそのまま後ろ向きで歩き続けた。
「うん。オレ、魔法にずっと興味があってさ。アカデミーってどんなところなのかなーって」
「けど、母ちゃんに反対されてるんよな」
隣のサツキも同じように後ろ向きで並び歩く。周りの通行人に当たらないように歩く二人を、器用だなとマリスディアは感心していた。
「母ちゃんは寺子屋で充分だって言うんだけどさ。オレはもっと本格的に教えてもらいたいんだ」
「ジルは魔法が大好きなのね」
「うん、大好きだぞ」
にかっと笑うと、ジルファリアはマリスディアの顔を覗き込んだ。
「マリアはアカデミーに通うのか?貴族とか魔法使い一家なんかは行くやつが多いって聞いたけど」
「ええ、勿論入学試験は受けなければいけないけど、合格したら通うことになると思うわ」
「そっかぁ、じゃあオレもやっぱり行きたいな」
腕組みをしながらジルファリアは唸る。ますます煉瓦造りの学舎への想いが強くなったことを感じ、どのようにして母に説明しようかと頭を悩ませ始めたのだ。
「さぁさぁ、アドレへの説得はまた追々考えることにして。ひとまず休憩にしよか、ジル」
朗らかな声に我に帰ると、いつの間にか馴染みの職人通りへと帰ってきたらしい。目の前には洗濯屋の看板がぶら下がっていた。
ラバードはマリスディアに深く腰を折ると、中へ入るよう促した。
「小さくて汚れている店ですが、お入りください」
「お邪魔します、ラバード様」
彼女も小さく会釈すると、その入り口をくぐったのだった。
店番も客もいない店内はとても静かで、窓から差し込む陽の光の中で埃の舞っているのが見えた。
「お日さまと石鹸の香り……」
頭に被ったショールを下ろしながらマリスディアが呟く。金色の髪が陽の光に当たって、柔らかく輝いた。
「とてもいい香りですね」
彼女は物珍しそうに壁際の棚に畳まれている洗濯物を眺めながら微笑んだ。
「マリスディア様、どうぞそこの椅子にお座りください。サツキ、悪いが店じまいの札を出してきてくれ」
「了解」
言うが早いか、サツキが木の札を手に持つとすぐに出て行った。
「これで誰も入って来ません。王宮の迎えが来るまでは安心です」
奥の方からかちゃかちゃと音を立てて、茶飲みとポットを盆に乗せたラバードがにこりと微笑んだ。
「ジル、テーブルと俺達の椅子を」
「分かったぞ」
手慣れた手つきでジルファリアも机と椅子を運び、マリスディアの前に並べ始めた。そうこうしている間にサツキも店の中へと戻って来た。「外の連中はまさかここに王女様がいてるなんて夢にも思わへんのやろな」と苦笑する。
「あまりこういったおもてなしは慣れておらず申し訳ないのですが、お茶でもお飲みください」
湯気の立つ茶飲みをテーブルに置くと、ラバードが照れたように笑んだ。
「確かにおっちゃんはお茶っていうより、いつも酒ばっか飲んでるもんな」
「ウルセェ!」
「いてぇ……」
すぐさまジルファリアに鉄拳を落とすその様子にマリスディアも吹き出す。
「ジルもサツキさんも、ラバード様と本当に仲が良いのですね」
いただきます、とマリスディアは茶飲みに口を付けた。
「助けていただいただけでなく、こうして美味しいお茶までご馳走になって、本当にありがとうございます」
「勿体ないお言葉です、マリスディア様。他に何か召し上がられますか?大したものはありませんが、今朝私が作ったスープなどもございます」
「ええっ!おっちゃんのスープって」
ジルファリアがぎょっとした顔で飛び上がるのと同時に、マリスディアが首を横に振った。
「これ以上甘えるわけには……」
その時だった。
盛大な腹の虫が部屋に鳴り響く。
「ったく誰や、派手な腹の虫を鳴らして。サツキか?ジルか?」
「オレじゃねぇぞ、おっちゃん」
「おれもちゃうで」
二人は首を横に振った後、顔を見合わせた。そして同時にマリスディアの方を見る。
「あ、あの……」
伐が悪そうな顔をしながら、彼女は俯いた。
「すみません……」
「ま、マリスディア様の腹の虫だったとは、こちらこそ何てお詫びしていいか……」
不敬に値する自分の言動に、慌てた様子でラバードが髪を掻く。
「ぷはっ……!なんだよマリア、お前腹減ってんのか」
その様子に吹き出したジルファリアがごそごそと外套のポケットを探った。
「オレ、いいもの持ってんだ。おっちゃんの地獄スープなんかよりもよっぽど美味いぞ」
ほら、と紙袋から中身を取り出した。
「わぁ、クラケットね」
マリスディアが目を見張る。
「オレの母ちゃん特製のでさ。これ、マリアに食べて欲しくて持って来たんだ」
「わたしに?」
頷いて見せると、マリスディアは嬉しそうにありがとうと笑った。
皿に並べるとバターの良い香りが広がり、自然と笑みがこぼれた。ジルファリア達は三人顔を見合わせると、いただきますと声を合わせた。
「美味しい!」
満面の笑みでマリスディアが絶賛した。
「クラケットはわたしも大好きでよくいただくのだけど、こんなに美味しいクラケットは初めてだわ」
「へへ」
面と向かって母の菓子を褒められると、何となくこそばゆい。ジルファリアは照れたように笑い鼻を掻く。家に帰ったらこの様子を伝えようと思った。尤も、王女がクラケットをとても喜んで食べていたなどとアドレは仰天するかもしれないが。ジルファリアはその様子を想像し一人ほくそ笑んだ。
「ジルのお母様はお菓子作りがとても得意なのね」
余程空腹だったのか、マリスディアはぱくりぱくりとクラケットを頬張っていく。
「お姫さんもワンパクな食べ方しはるんやなぁ」
その食べっぷりを感心したようにサツキが眺めた。
「マリアも食いしん坊だな」
マリスディアはジルファリア達の視線に頬を染め、照れたように笑った。
「そういえば、前にジルが届けてくれたカボチャもとても美味しいスープになったのよ。野菜売りの方にお礼を伝えて欲しくて」
「おう!ばあちゃんに会ったら話しとくぞ」
得意げに胸を叩くジルファリアを、半眼になったラバードが睨む。
「そういや、その日にオメーは貴族街に無断で忍び込んだんやったな」
「げ……」
飲み込んだクラケットが喉に詰まり、思わず咳き込む。ラバードは太い腕を組み直しながら説教を始める。
「あろう事かお前はバスター家の屋敷に行き、マリスディア様に近づくなんて……。不敬も勿論そうだが、見つかったらただでは済まへんかったんやぞ」
「うー……、だってばあちゃんがさ」
「だってもへったくれもあるか!王族の方に気安く近づくなんて、重罪や」
言い訳をする隙すら与えずラバードの一喝が飛んでくる。
「ラバード様、どうか怒りをお鎮めください」
慌ててマリスディアが間に入った。
「ジルはわたしの話し相手になってくれたんです。おかげでとても楽しくて。だから、ジルファリアを叱らないでください」
「ま、マリスディア様」
「同じ歳くらいの友人がいないわたしに、ジルファリアは優しくしてくれたんです。お願いします」
必死で訴えかけるマリスディアの様子に、ラバードは言葉を詰まらせた。苦々しい表情をジルファリアに向け、ため息を吐く。
「……分かりました。ですが、これ以上ジルファリア達が失礼なことをするようであれば、私とて容赦は致しませんよ?」
柔らかい口調ではあるものの、言い終える頃にはこちらをぎろりと睨みつけてくるあたり、また後ほど説教を食らうことになるのだろうなとジルファリアは項垂れた。だが、彼は貴族街に忍び込んだことに後悔はしていないのだ。とてもスリルのある冒険だったと思うし、マリスディアと友人になれた事は彼にとってもこの上ない嬉しい出来事だったのだから。
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