宵闇の魔法使いと薄明の王女 4−6

 黒い霧を纏った“それ”は、果たして人間だったのだろうか。

 視界に入った印象は、“朽ちた枯れ木“であった。
 黒いローブを身に纏い、異様に背が高く折れてしまいそうなくらい痩せている。頭からは同色の頭巾を被っていたため、顔が見えず不気味であった。
 __それに。

 「何だあれ……仮面?」

 口元は、機械で細工された黒い布で覆われており、更に表情が見えなかった。
 ジルファリアはマリスディアを更に背の後ろに庇うと、ごくりと唾を飲み込んだ。
「おまえ、誰だ?」
 その問いに答えずに黒頭巾がこちらへ一歩詰め寄ったので、ジルファリアは同じ分だけ後ろに下がった。
「おまえがマリアの誘拐を企んでたやつか?」
 黒頭巾が腕をついと上げる。その動きに呼応するように、黒い霧がこちらへ向かってきた。
「この匂い……」
「匂い?」
 マリスディアの問いにこくりと頷く。
 先程から香っているその匂いに、ジルファリアは眉を顰めた。これは黒い霧から香っているのだと思っていたが、どうやらこの黒頭巾自身から放たれているようだ。
 ジルファリアはぴんときた感覚をそのまま言葉に出す。

 「おまえ……、何食ってんだ?」

 こちらに差し出されていた黒頭巾の腕がぴくりと止まる。

 「ナゼそのようなコトをトう?」

 思わず息を呑んだ。

 初めて聞こえたその声は、人間のものとは言い難かったからだ。金属を擦り合わせたような、まるで無機質な機械がそのまま喋っているようだった。
 ジルファリアは思わず背後のマリスディアと目を合わせる。彼女も同じ思いだったのか、驚愕した表情でこちらを見つめていた。
「ナゼだ」
「……えぇと、それは」
 言い淀んだジルファリアは視線を逸らせた。何故と聞かれても、どうしてそのような事を思ったのかジルファリア自身分かっていなかったからだ。ただ、この匂いの意味するものが、何となくそう感じさせたに過ぎなかった。考えあぐねていると、痺れを切らしたのか黒頭巾はそのままこちらへと手を伸ばした。
「まぁいいだろう。オウジョをツれてイく」
「待てよ!それはさせねぇ」
「どけ」
 そう短く金属音が答えると、その手先からヴン、と低い羽音のような音が響き、突然現れた黒い炎がこちらへ目がけて飛んできた。
「うわっ!」
 咄嗟に身体を捩ると、ジルファリアは後ろへ飛び退く。そのまま炎は二人の側を通り過ぎ、背後の壁に当たって消えた。
「何だあれ?黒い火みたいな……」
「あれは……、魔法」
 マリスディアが炎が消えた跡を呆然と見つめている。
「魔法?」
 炎の当たった壁が少し焦げていたのだが、黒く燻ったような跡が残っていた。ジルファリアの問いにこくりと頷いたマリスディアだが、すぐに釈然としない風に首を傾げた。
「間違いないわ。でも、それにしては炎の色がいつも見るものと違う気がするけれど」
「いつもと違う?」
 眉を顰めたジルファリアだったが、背後の動く気配にすぐさま振り返る。
「よそミをしているバアイではナイだろう」
 黒頭巾はそう呟くと、先ほどよりも素早い動きで更に炎をいくつも繰り出した。動く度にはためくローブの裾から黒い手が見え、それが禍々しく黒煙を伴い燃え上がったのだ。
「きゃっ……!」
「マリア!」
 黒い炎は彼女の髪を掠め、肩口のあたりが黒く焦げた。
 どうやらこの黒頭巾は、捕獲対象であるマリスディアのことも問答無用で攻撃するつもりのようだ。
「テメェ……!」
 ぎり、と歯を噛み締めると、ジルファリアは相手を見据えた。どうやってこの状況を切り抜けようかと考えるが、良い案が浮かばない。
 自分は先ほどのカラス団とのやり取りなどで体力が削られているが、相手はまだまだ余力があり、その上胡散臭い魔法まで使いこなす始末だ。当然こちらが圧倒的に不利である。
(どうやってマリアを助ける?)
 飛び込んで来た窓から彼女を抱き抱えて飛び降りるのが最善かと視線を走らせる。
「ムダだ」
 そんな動きも封じられるかのように黒い炎がすぐさま飛んで来る。ジュ、と音がしてジルファリアの鼻先に痛みが走り、自分の目の前を今まさに炎が横切ったのだと青ざめた。
(なら、あいつらが登ってきた階段は……)
 チラリと目をやるが、そこには黒頭巾が既に立ちはだかっている。
(ダメか)
 完全に退路を断たれた。
 ジルファリアは舌打ちをする。
「カンネンしたか?」
 その言葉と同時に聞こえた後ろの悲鳴に我に帰った。
「マリア!」
 マリスディアの上半身が黒い霧に包まれていたのだ。苦しげな声で蹲っている彼女の元に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「く、……首、が」
 彼女が息も絶え絶えに首元に手をやると、その白い首を締め付けようと黒い霧が纏わりついていた。
「く、るし……」
 ひゅーひゅーと異様に鳴る彼女の息遣いに、ジルファリアは急に恐ろしくなった。
 今まで乗り越えてきた冒険や喧嘩など比べ物にならないくらい、格段に恐ろしい事態に直面しているのだと気づいてしまったのだ。目の前のこの黒頭巾は、子ども騙しの悪戯や悪ふざけなどではなく、生命を奪う事も厭わないのだ。明確な殺意と初めて対峙して、子どものジルファリアが平気でいられるわけがなかった。
「マリア、マリア……!しっかりしろ……くそぉ」
 彼女の傍らで力なく項垂れたジルファリアは、そのまま拳を握り締め、そのまま床を叩きつけた。
「アンシンしろ、オウジョはコロさない」
 硝子を踏み締めた音が鈍く響き、ジルファリアはハッと息を呑んだ。黒頭巾がもう後ろまで迫っている。
「だが、おマエのコトはこれからシマツしてやる」
 振り返ると、その枯れ木のように不気味な影がこちらへ向かって伸びたところだった。
 ジルファリアは思わずぎゅっと目を閉じる。

 __手を叩け……

 「……え?」
 その時、聞いたことのない声が届いた。
 すぐに目を開くが、そこには黒頭巾以外誰もいない。

 __手を、思い切り叩け。

 「……手?」
 もう一度、今度ははっきりと聞こえたそれに、ジルファリアは自分の両手を見る。
 ヴン、と羽音のような音が聞こえ、仰ぎ見れば黒頭巾の放った炎がもうそこまで迫っていた。

 ジルファリアは夢中で両の手を叩いた。

 「なっ……!」

 パァン、と乾いた音が鳴り響く。

 すると、その音に弾かれるように黒い炎は雲散した。
「ナンだと……マホウか?」
 黒頭巾が初めて狼狽えたような声を上げた。
 ジルファリアは信じられない思いでもう一度自分の両手の平を見つめた。

 __さぁ、もう一度。

 その声が勇気づけてくれるようにしっかりと聞こえる。
 今度はこの声がどこから聞こえて来るのか、ジルファリアははっきりと確信した。
 自分の胸元に手を当てると、ジルファリアはすくと立ち上がる。不思議と恐怖はいつの間にか消えていた。

 そして相手を見据え、内側から湧き起こるその声と同時に手を叩いた。

 「「爆ぜろ」」

 するとバチン!と音が弾け、黒頭巾の頭部が小さく爆発した。

 「グゥ……っ!」
 彼の手の平から散った火花がぷすぷすと音を立てている。
「オレが、やったのか……?」
 煌々と燃え上がる炎がローブを包み燃やし始めるのを確認すると、ジルファリアは蹲ったままのマリスディアに駆け寄った。
「マリア!」
「じ、ジル……」
 そう見上げた彼女も先ほどの細い息遣いは治ったようで、幾分か顔色も良くなっていた。
「さっきの黒いやつは、……消えたみてぇだな」
 良かった、と息を吐くジルファリアに、マリスディアもほっと息を吐く。
「さっきジルが手を叩いた時、首がとても楽になったの」
「そうなのか?」
「すごいわ、ジル。魔法を使ったの?」
 そう訊ねるマリスディアに、ジルファリアは首を捻った。
「それが……、オレにもよく分かんねぇんだよな」
 そう言いながら、胸元に手を当てる。
「さっき、ここから声が聞こえたんだ、手を叩けって。それで言う通りにしたらあいつが爆発して……ってうわ!」
 黒頭巾の方へと視線を向けたと同時に、ジルファリアはマリスディア抱き抱えて飛び退いた。すぐさま今いた場所を確認すると、黒い炎がそこで燻っている。
「もうヨウシャはしない」
 いつの間にかジルファリアの起こした炎は消えてしまったようだ。既にこちらへじりじりと詰め寄って来た黒頭巾が手の平をこちらへ向ける。
 ジルファリアは彼女を背に押しやると、グッと顎を引いて立ち上がった。
「だったらオレも、何回だってお前と戦ってやるよ!」
 そして庇うように両手を広げると、勇んで声を張り上げた。

 「マリアは!オレが守ってやる!」

 「よく言ったアァぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 その時、何かを破壊する轟音と共に、黒い影が突如部屋に飛び込んで来たのだ。
 バラバラと目の前を飛び散るそれが、この時計塔三階の外壁であると気がついた時には、黒頭巾は既にその何かに一瞬で蹴り飛ばされていたのである。大きな体躯の割に黒豹のように俊敏に動くそれは、反対側の壁に叩きつけられた黒頭巾の姿を捕らえ羽交い締めにしていた。
「惚れた女の一人や二人、テメェで守れんでどーするっ!」
 そう豪快に笑いながら、彼は黒頭巾を瞬く間に縛り上げてしまった。そうして、いつもの朗らかな笑顔をこちらに見せたのである。
「なぁっ、ジル!」
「お、おっちゃん?!」
 ガッハッハと高らかに笑うラバードは、おう!と二本指を立てて手を掲げた。

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この記事を書いた人

ファンタジー小説が好きです。
読むのも書くのも好きです^^

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