「マリア?」
まさかの助っ人に虚を突かれたジルファリアが目を丸くした。視線の先で彼女は足元に転がった少年に向かってごめんなさいと何度も呟いている。そしてこちらの視線に気がつくと、木の棒をぎゅっと握り直した。
「わ、わたしも戦うわ」
しかしその勇ましい言葉とは裏腹に、彼女は全身ぶるぶると震えていた。
「ジル達ばかりを危ない目に合わせられないもの」
「お前、喧嘩とかしたことあるのか?」
答えは分かっていたが、念のため問いかける。
「喧嘩をした事はないけれど、剣術の打ち合い稽古なら何度か見たことがあるわ」
マリスディアは再度棒切れを構え直し、顔を引き締めた。
「見たこと……ねェ」
サツキが苦笑したその時、ジルファリアの足元でうずくまっていたダンがばたりと音を立てて倒れ込んだ。どうやら先ほどの蹴りで脳震盪を起こしたらしく、既に気絶していた。
「ダン……!くそっ、ジルぅぅ!」
その時、傍で見守っていたビリーが突如叫びながら飛び上がったのだ。
反射的にサツキが腕を伸ばし、彼の身体を壁に向かって投げ飛ばす。
「ダンがやられて追い詰められてんな……おいジル、お姫さん、ひとまずここは一気に畳み掛けんで」
向かってくる少年たちに応戦しながらサツキが声を張り上げた。二人も顔を見合わせて頷く。
ジルファリアはサツキとは別方向へ走り出し、カラス団を蹴散らした。背後のマリスディアを気にかけていたが、なかなかどうして、彼女も良い戦いっぷりを見せていた。ただ闇雲に棒切れを振り回すのではなく、相手を見定めて打ち込んでいる。顔は真っ青だったが、剣術なんかをさせてみたら案外良いところまで上達するのではないかと内心思った。
リーダーを失ったカラス団を殲滅するのにさほど時間は掛からなかった。意気消沈しているのもあったが、彼らは最早ジルとサツキの敵ではなかった。二人に恐れをなし、倒れ込んでいるダンを置いて時計塔を逃げ出す者もいたくらいだ。
そして気を失っている団員たちを尻目に、ジルファリアはふぅと大きく息を吐いた。
「あらかたやっつけたな」
同時に額の汗を拭うと、マリスディアの方を見遣った。
「マリア、大丈夫か?」
彼女は彼女で放心したようにその場に立ち尽くし、肩で息をしていた。足元には何人か彼女にのされた少年達が倒れていた。
「おまえ、結構やるなー」
感心したように笑って見せると、ぶんぶんと首を横に振る。
「身を守るとはいえ、このかた達には申し訳ないことをしてしまったわ」
「けど、おまえのおかげでオレは助かったんだぞ」
彼女の傍まで歩いて行くと、ジルファリアはその髪をくしゃくしゃと撫でた。
「ありがとな、マリア」
乱れた髪もそのままに、マリスディアは照れたように頬を染める。そして思い出したかのように首を傾げた。
「そういえば、どうしてマリアって……」
「あ?……あー、えぇと」
途端に照れ臭くなり、ジルファリアは目を逸らした。
「ほら、何かマリスディアって長ぇし、おまえもオレのことジルって呼んでくれただろ?だから、その」
髪をばりばりと掻き、少々素っ気なく返した。
「オレも友だちみたいに呼びたいなって思ってさ」
「ジル……」
「ほぉ〜……」
いつの間に傍まで近づいて来ていたのか、薄ら笑いを浮かべたサツキがこちらを覗き込んだ。
「な、何だよ」
「別にぃ?楽しそうやな〜って思てな」
愉快そうに笑い続けているサツキを思わず小突いたが、ニヤニヤとした顔が戻る事はなかった。そんな様子を見つめていたマリスディアがふふっと微笑んだ。
「ジル、ありがとう」
その柔らかな笑みに、ジルファリアはおう、と返しまた赤面する。
「ええと、サツキさん……も、ありがとうございます」
そう言うと、彼女は丁寧な動きで腰を折った。サツキは慌てて両手をぶんぶんと振る。
「そんな!お姫さん、顔上げて?それにおれのこともサツキでええよ」
「ありがとう」
嬉しそうに微笑むマリスディアを見ると、サツキがジルファリアに耳打ちした。
「確かに可愛らしいな、ジル。おまえが気になるんもわかる気がするわ」
「ばっ……!何言ってんだよ!」
顔が一気に上気し、サツキの背中をばしりと叩いた。
「そんな事より、さっさとこの“呼び声の雫”を使おうぜ」
言うや否や、ジルファリアが首から下がっている鎖を持ち上げる。きらきらと輝く硝子玉をマリスディアに向けると首を傾げた。
「これを吹けばいいのか?」
「ええ、唇をつけて息を……」
その時だった。
突然、ジルファリアが短く呻いたのだ。
灼けつくような痛みが首筋を走り、チリチリとした刺激に思わず顔を歪める。
「ジル……?大丈夫?」
異変に気づいたマリスディアが覗き込む。ジルファリアはすぐに首筋に手を当ててみたが、触れてみてもそこには何もなかった。
見守っていたマリスディアとサツキが顔を見合わせ首を傾げた時だった。
背後でざり、という音が聞こえ、それが割れた硝子を誰かが踏みしめた音だと気づいた時にはもう遅かった。
振り返ると、既に三人は黒い霧のようなものに囲まれていた。
「な、何やこれ……、霧?」
サツキがそれを振り払ったが、手応えも無く腕は空を切った。細かな霧はそのままサツキの身体を締め付けるように纏わりついた。首の痛みがいつの間にかなくなっていたジルファリアはその異変に気がつく。
「何か変だぞ、サツキ」
くん、と鼻を鳴らすと、ジルファリアは庇うようにマリスディアの前に立ちはだかった。鼻をついたのは嗅いだことのない香りで、不快感が背中を走ったからだ。
「なんか、変な匂いが……」
そう言いかけた時だった。
突然サツキがくるりと白目を剥き、昏倒したのだ。鈍い音と共に彼の身体が床に落ちる。
「さ、サツキさん!」
ジルファリアは息を呑んだ。このような倒れ方をした人間を見たことがなかった。しかもそれが親しい友人だとどうだろう。驚きよりもより恐怖が勝った。
だが次の瞬間、現れた目の前の異様な気配にサツキの事は頭から飛んでしまった。
「誰だっ……!」
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