どうやら窓の割れた部分から声が漏れてきたようだ。ジルファリアは息を殺し窓へと近づく。
そっと中の様子を窺うと、仁王立ちになっているダンと、その正面には後ろ手に縛られ座り込んでいるマリスディアの姿が見えた。
「そんな目で見ても無駄だ。もう少ししたら、あんたのことを欲しがっている御方が来る。その方に引き渡したら俺達の役目は終わりだ」
「その御方とはどなたですか?」
こちらからは表情までは見えなかったが、マリスディアの声が響いた。先程と変わらず、凛とした声だった。
「そんなことあんたに話せるわけねーだろ?来たら分かる」
「一体その方は何故わたしの身柄を欲しているのですか?」
「まだ聞くか……」
「その方は聖王国の者ですか?」
畳み掛けるような彼女の問いかけに、ダンは軽く舌打ちをした。
「このような事をしてしまっては、あなた方もただでは済まな……」
「ウルセェな、このっ……!」
「あっ……!あんにゃろ」
思わずジルファリアがぎり、と歯を鳴らす。声を荒げたダンがマリスディアの髪を引っ張り上げ、髪ごと彼女の身体を持ち上げたのだ。
「ウルセェんだよっ!次々と小難しいこと聞くな!」
「うぅ……っ!」
苦痛に顔を歪める彼女を、そのままがくがくと髪を抜かんばかりに前後に揺すった。
「王女だからって、調子に乗るんじゃねぇぞ!」
「てめ……っ、ダン……!」
頭に血が上ったジルファリアはそのまま軒下に飛び上がると、雨樋に両手でぶら下がった。体の重みで軋む音などもお構いなしに、両足を前後に振り勢いをつける。
「……マリアに、何すん、だーーーーーっ!!」
そしてそのまま手を離し、硝子窓に向けて飛び込んだ。
靴裏が硝子を蹴破る感触を感じ、次の瞬間にはその破片が頬を掠る。痛みを感じる間も無く、ジルファリアは床に着地するとすぐさまダンの方へと飛びかかった。そして足を伸ばしたまま身体を反転させ、その勢いで踵をダンの足元に打ち込んだ。
「ぐぁっ!」
バランスを崩したダンがマリスディアの髪から手を離すのと同時に、ジルファリアは彼女の身体を受け止めダンから距離を取った。
「なっ、……おま、ジル?!」
しゃがみ込んだダンが驚いた形相でこちらを凝視した。
「てめーこそ調子乗ってんじゃねぇぞ、ダン」
自分でも驚くくらい声が荒く響き、ジルファリアは自分が怒り心頭であることに気がついた。耳がぐあんぐあんと鐘を鳴らしたように五月蝿かったし、心臓もばくばくと激しく脈打っている。視界も狭くなって来ており、ダンの驚愕した表情すら見えづらい。
目の前のこいつをどうしてやろうかと、過激な仕打ちを頭に描きながら睨みつける。
「落ち着きや、ジル」
嗜めるような声がこちらに向けられた。肩越しに振り返るといつの間にかサツキが背後に立っていた。
「邪魔すんな、サツキ」
「あんまカッカしすぎも良くないで、冷静になり」
「なんだ、テメェも来たのか、サツキ」
忌々しげにダンがこちらを睨みつけると、丸い目を閉じサツキは肩をすくめた。
「まぁ、ほっとくと必要以上に暴れ出す凶暴猫なもんでな」
その時、脇に抱えたマリスディアが短く呻き、ジルファリアは我に返った。すぐさま彼女の身体を床に下ろす。
「大丈夫か、マリア!」
肩を抱き覗き込むと、マリスディアはうっすらと目を開けこちらを見上げた。
「……ジル?」
弱々しくはあったが、返事があったことにほっと胸を撫で下ろす。
「助けに来てくれたの?」
「うん、もう大丈夫だぞ」
そして冷静さを取り戻したおかげで、彼女の頬にアザが出来ていることに気がついた。
「お前、その顔どうしたんだ?」
よく見れば、先程より衣服も汚れ、腕や足も傷だらけになっているではないか。美しい金色の髪にしても、ダンに持ち上げられた以上の乱れた様子で、ジルファリアはまた血が上りそうになった。
「あ、これは……」
マリスディアが言い出すよりも先にダンが口を開いた。
「それはこの王女サマが暴れ出したからだよ」
「……は?」
「攫ってきたヤツらからここに引き渡された時に、隙見て俺達に噛みついてきやがったんだ」
苦々しい顔でダンが太い腕を突き出した。赤くなった歯型がくっきりと付いており、見るからに痛々しい。
「ったく、縛られてるってのになんつー勝ち気な女だ」
「っはは……!」
ジルファリアが呆気に取られていると、サツキが吹き出した。
「何や……、ダン相手に暴れて噛み付くなんて大したお姫さんやなぁ」
そうして笑いを噛み締めたままジルファリアを一瞥すると、一言呟く。
「似たモン同士やないか」
「何だと!」
ふくれっ面になるジルファリアを尻目に、サツキは鋭い目線でダンを見据えた。
「けど、それでお姫さんを殴り返していい理由にはならんで、ダン」
「ウルセェな!……ちょうどいい、目障りだったお前らもここで始末してやるよ、黒猫、洗濯屋!」
そう吠えたダンが指笛を吹く。
すると、階下からバタバタと忙しなく足音が聞こえ、階段を駆け上がってくる音に変わった。
「結局全員やらなあかんのかい」
ため息を吐いたサツキが腰に手を当てる。
「いいじゃん、どうせここから逃げるんなら必要なことだ」
へへっと愉快そうに笑うと、ジルファリアはマリスディアを覗き込んだ。
「なぁマリア、オレ達今からこいつらの事ぶっ倒すから、ちょっと離れててくれるか?」
「え、ええ。でもジル、大丈夫?人数が……」
案じる表情で視線を階段に向けるマリスディアに応えるかのように、そこからわらわらとカラス団の少年たちが現れた。中には木片のようなものを持った少年もいて、マリスディアは身じろぎした。ジルファリアはにかりと笑うと、彼女の縛られた縄を解く。そしてその両肩をぽんと叩いた。
「大丈夫だ。絶対におまえを助けてやるからな」
その言葉にマリスディアは一瞬きょとんとしたが、すぐにこくりと頷く。
「気をつけてね」
「うん、任せろ」
彼女を壁際に押しやると、ジルファリアは背に庇うように立ちはだかった。その様子を見守っていたサツキがニヤリとした視線を寄越す。
「とりあえずダンはお前がやれや。おれはその他大勢をやったるわ」
「まかせとけ」
頷いて見せると、ダンが馬鹿にしたように笑い出した。
「おいおいおい、黙って聞いてりゃつけ上がりやがって。黒猫一人で俺の相手をするだって?」
「そうだぞ」
「馬鹿にすんのも大概にしろよ」
ジルファリアよりも遥かに背が高いダンが威圧的に見下ろす。ごきりと指を鈍く鳴らした。周りの少年たちが囃し立てるように歓声を上げる。
「バカにしてんのはお前だろ、ダン」
怯むことなくジルファリアは鋭い目線で見返した。
「……オレのこと、どんだけ弱いって思ってんだ」
瞳の奥に湧き上がる怒りを感じ取ったのか、ダンが一瞬たじろいだのをジルファリアは見逃さなかった。短く助走をつけると軽く地を蹴りダンに向かって飛び上がったのだ。その姿は呼び名の通り猫か、まるでムササビのようだった。
そしてジルファリアは素早く脚を旋回させ、驚いたダンの首元に蹴りを入れた。
「ぐあ……っ」
彼の潰れたような呻き声と同時に、鈍い衝撃が自分の足にもかかった。が、よろめいたダンを追撃するかのように、着地するとすぐさま鳩尾に拳を打ち込んだ。衝撃で唾液を吐くと再度苦しげな声を上げ、ダンは嘔吐しそうな体勢でうずくまった。
その姿に周りのギャラリーはしん、と静まり返る。無理もない、かなりの体格差で不利と見られたジルファリアが圧勝したのだから。
「口ほどにもねぇな」
これでよくカラス団のリーダーが務まるもんだとその大きな体躯を見下ろした。それからジルファリアはじんじんと痛む拳を開き、軽く振ったのだ。
「なぁ、もうやめようぜ。マリアを返してくれたら、これ以上オレらはお前らとやり合う理由なんてねぇんだ」
「ふ……、ふざ、けんな、ジルぅ……」
床に丸くなっているダンが苦しげに悪態をついた。
「お、王女を売り渡せば……すげぇ大金がもらえるんだ……だから、何がなんでもテメェらを逃すわけにはいかねぇ」
「……てめー、金のために……、」
ダンの言葉に苛立ったその時だった。
「ダァぁぁぁぁぁ!!」
同じくダンの言葉を合図に、ジルファリアの脇にいたカラス団の少年が突然木片をこちらに振り下ろしたのだ。
「危ない!」
来るべき衝撃に備えて身構えたが、その一撃はジルファリアに振り下ろされることはなかった。
少年は木片を両手に握りしめたまま前傾し、そのまま昏倒したからだ。
倒れた少年の背後には、廃材と思しき木の棒を構えたマリスディアが立っていた。
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