ジルファリアははやる気持ちで走り続けた。
郊外から学生街に入ると、石造りの静かな小道に出る。この辺りは森の中にアカデミーがあるせいか木々が多く、道の両脇にも高木から低木と様々な樹木が生い茂っていた。時折、落ち葉の油で滑ってしまい、足を取られながらも前へ前へと駆けていた。
一刻も早く彼女の安否を確認しなければ気持ちが落ち着かない。自分の予想が外れていたらという不安も無くはなかったが、それよりもカラス団が本当に彼女の誘拐に絡んでいたら__どうとっちめてやろうかと、怒りの方が勝っていた。
眉間に皺を寄せながらしばらく走っていると、前方が騒がしくなってきた。
どうやらアカデミーの下校時刻に重なったらしく、学生街の通りが大勢の学生たちでごった返していた。黒いローブを纏った学生の間をすり抜けながら、ジルファリアはちらりとそちらを見る。学生たちが出て来た方向には大きな鉄門が見え、その奥に見えた煉瓦造りの大きな建物が目を引いた。
「あれが王立アカデミーか……」
憧れに近い感情が込もっていたのだろう。気がつけば口から飛び出してしまっていた。
「思ってたよりデカいよな」
すぐ後ろを走っていたサツキが合いの手を入れる。振り返るとこちらに笑みを向けた。
「行ってみたいんやろ?」
そんな問いにまぁなと返し、ジルファリアは前を向き直し走り続けた。
「けど、母ちゃんが許してくんねーよ」
「そうか?もっと話せば分かってくれんちゃう?」
「いや、それはねぇよ。だってあの母ちゃんだぞ?」
もう一度振り返ると、ジルファリアは目を吊り上げ鼻をひん剥いてみせた。ぷはっと吹き出したサツキは「それおばちゃんのつもりか?」と問うた。返事をしないでいると、サツキはもう一度言葉を探す。
「まぁ、本気で考えてるんなら、一回ぶつかってみぃ。なんでもそうやけど、話さな分からんことなんてたくさんあるんやで」
どこか諦めたような、そんな声の調子に首を傾げる。
「サツキ、お前ほんとに大人のおっちゃんみたいな時があるな」
「うっさいわ。ほら、早よ行くで。お姫さん助けな」
「そうだった」
気を取り直しジルファリア達は先を急いだ。
学生たちの間を縫いながら石畳の通りを走り抜けると、しばらくして中央通りに出た。
王城と城下町の正門を繋ぐその大きな通りは今日も賑わっている。馬車や行商人が行き交い、子供たちが水路で遊んでいた。
まさかいまこの瞬間に王女の誘拐が起こっているとは誰も思わないだろう。
「この国って平和だよな」
あまりにいつもと変わらない風景にジルファリアがぽつりと呟く。
「まぁ、平和ボケしてるとも言えるけどな」
「サツキ?」
その皮肉めいた口調に棘を感じ、ジルファリアは振り返った。それに気づくと、取り繕うような表情でサツキが笑う。
「この国は、よく言えば優しい人が多いんやろうけど、悪い言い方したらうっかり騙されたりしそうやなって」
何となく、その言葉とマリスディアの姿が重なり思わずむっとする。
「そりゃそうかもしれねぇけどさ。オレは好きだぞ、この国」
「そらおれもずっと住んでる国や、愛着もあるし、好きは好きやで」
けどな、とサツキが続ける。
「お人好しなだけやと、肝心な時に何も大事なもん守れへんのとちゃうかなって。今は平和やからええけど、戦争なんか起きたらいくら魔法の国と言えど危ないやん」
「戦争?」
「今のセレインストラには無縁かも知らんけど、外の国では戦争して国同士で殺し合いしたり、子どもが売り買いされたり……ひどいことがたくさん起こってんねんで」
難しいことを述べるサツキを見ながら、ジルファリアは彼がラバードの購読している世界情勢新聞をよく読んでいるのを思い出していた。
だからなのか、ジルファリアは目の前の少年がいつも以上に大人びて見えて気後れした。
「……お前はすごいな」
素直にそんな言葉が唇からこぼれてしまう。
「オレなんかよりずっといろんなこと知ってるし、頭だって良い」
「ジル?」
「なんでもねーよ、さっさと行こうぜ」
きょとんとした彼を何となく直視できず、くるりと背を向けたジルファリアは職人街へと向きを変える。
いつも思いつきで行動している自分とは違う、そんな賢い相棒に引け目を感じてしまったのだ。
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