「そういやさ、お前はなんでこんないかにも怪しい馬車に連れて来られたんだ?」
ジルファリアが思い出したように尋ねる。
貴族の令嬢が護衛も付けずに一人で屋敷の外へ出てきたことがずっと引っかかっていたのだ。
そんな問いかけに笑顔から一転しマリスディアの顔が曇る。
「ばあやから手紙をもらったの」
「……ばあや?」
「もう今は辞めてしまったのだけど、わたしが赤ん坊の頃からずっとそばにいてくれた人で。久しぶりに手紙が届いたの」
「ふぅん」
確かに、先ほど屋敷から出てきた彼女の手には紙のようなものが握られていた。
「そこにはなんて?」
「家族が病気になって、でも薬を買うお金がなくて困っているから助けてほしいって」
その言葉に男がニヤリと嫌な笑みを浮かべたのをジルファリアは見逃さなかった。
それだけで彼女が嵌められたのだとすぐに理解できた。
という事はそのばあやという人物も一枚噛んでいるという事になる。
ジルファリアは同情を込めたような慰めに近い視線をマリスディアに向けた。
「お前、お人好しそうだもんな」
「え?」
「でも、こんな汚ねぇヤツらのためにお前が悲しむ必要なんてねぇよ」
そう言いながら、ジルファリアは敵意を込めて男を睨みつけた。
「ふん、何とでも言え。そんなことより、オメーらは自分たちのこれからを心配した方がいいんじゃねぇのか?」
「うるせーな!ぜったいマリスディアのことはオレが助けてやる」
「はっはぁ、縛り上げられたヤツが何言ってやがる」
男の言葉にぐぐっと言葉を詰まらせ、ジルファリアは悔しげに唇を噛んだ。そんな彼の様子を見つめていたマリスディアが意を決したように表情を変えた。
「あの……」
そして顔を上げると、彼女は真っ直ぐに男の顔を見つめた。
「ジルファリアのことを解放していただけないでしょうか」
「はぁ?!」
「マリスディア、お前なに言ってんだよ!」
男とジルファリアが同時にマリスディアを凝視する。そんな視線に怯むことなく、彼女は男を尚も見据えた。
「そもそも彼はこの件には関係がありません。あなた方の目的はわたしですよね?」
「まぁ、そりゃそうだが……」
「連れ去るのが二人になってしまっては、あなた方も手間がかかるのではないですか?」
「まぁ、確かに……」
「ダメだぞ、マリスディア」
納得しかけている男の言葉を遮るようにジルファリアは首を横に振った。これでは自分が助けに来た意味がないではないか。
「わたしは今、“呼び声の雫 ”を持っています」
彼女はそう言うと、自分の首元に目線を落とす。その先には青い硝子玉のペンダントが首から下がっていた。
「何だって……呼び声の雫だと?」
想定外だと言わんばかりに男が驚愕する。
「マリスディア、何なんだ?その何とかの雫って」
首を傾げながらそのペンダントを覗き込む。
海のような深い青色の硝子玉の中に金色の細かな結晶がいくつも散らばっている、とても美しい装飾品だった。
「これは魔法の道具と言われていて、助けを求める魔法がかけられているの。お父さまが護身用にって持たせて下さったもので」
「へぇ……こんな小さい玉に魔法がかかってんのか」
感心しているジルファリアにマリスディアが頷く。
「硝子玉に口を当てて息を吹くと外の硝子が割れるのだけど、中に入っている星の結晶がほうき星になって飛び出して、助けを呼ぶことができるのよ」
「すげー」
興味津々だという顔でジルファリアはまじまじとその青硝子を見つめた。
「それに、持ち主から無理やり取り上げられたり、持ち主が命の危機に曝された時にも魔法が自動的に発動するの」
マリスディアは男の方へと向き直り、また真っ直ぐに見つめる。
「ジルファリアを逃してくれたら、わたしはこれを使いません。彼に渡します」
「お前。なに言ってんだよ。そんなのダメだ」
慌てて止めるジルファリアに、マリスディアはかぶりを振った。
「いいの、ジルは巻き込まれただけなのよ?もうこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないわ」
「オレがお前を助けたくて自分で勝手に来たんだよ。だから……」
「お願いします」
ジルファリアの言葉を遮り、彼女は男に向かって腰を屈めた。
「そいつは無茶な相談だな、お嬢さん。もし逃したソイツが呼び声の雫をすぐに使ったらどうする?どっちにしろオレたちゃお縄だろ?」
「彼を縛ったままそこの農道で解放すれば良いでしょう?そうすれば、ペンダントを吹くことができないわ。彼が誰かに保護されてペンダントを使う前にわたし達は他の場所へ移動すればいい」
きっと男達は、拠点となる塒のような場所へ自分を連れて行くつもりなのだとマリスディアは確信していたのだろう。
しかし、彼女の毅然とした物言いはどうだろう。先程までの怯えた表情と打って変わって堂々としたその立ち居振る舞いにジルファリアは見入ってしまった。
それは相手の男も同じだったようで、彼女に気圧されて少々動揺しているようにも見えた。
「うぅむ」
「人質が二人もいたら、あなた方だって目立って危険が伴うのではないでしょうか?」
「確かにな。けど、俺が今そのガキをぶち殺すことだって出来るんだぜ」
そんな言葉にマリスディアの指がびくりと動いた。
「追手が掛かっているかもしれない今、そのような後始末が必要な事をされるのですか?」
「……ふん」
図星だったのか、男は面白くないといった表情で顎を撫でた。
「では、ペンダントを彼に渡してもよろしいですか?」
有無を言わさぬその声色に、ため息を吐いた男は「妙な動きしたら叩っ切るからな」と物騒な言葉を投げ、マリスディアの後ろ手の縄を切った。
納得がいかないジルファリアは尚もマリスディアに食い下がる。
「ダメだ、マリスディア。お前がもっと危ない目に……」
「これが最善だと思うの、ジル。それに、これはわたしの勤めだから」
そう言うとマリスディアは自分の首からペンダントを外し、ジルファリアを抱きしめるように首へ両腕を回した。金糸の髪が自分の頬を撫で、彼女の声がすぐ近くで聞こえる。
「ジルが助けに来てくれたことがうれしかったから、わたしにはそれで充分よ」
触れたマリスディアの指が震えているように感じたが、同時に首へかかる僅かな重みに気を取られ目線を下げる。青硝子の美しいペンダントが静かに光を放っていた。
「ありがとう、ジル。友だちだって言ってくれて、本当にうれしかった」
そう言って彼女は微笑んでみせた。
「マ、リス……!」
弾かれたようにその名を呼んだ時にはすでに遅かった。
ジルファリアは後頭部に鈍い痛みを感じ、そのまま意識を失ったのである。
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