十数日ぶりに辿り着いたバスターの屋敷はやはり大きかった。
(なんでこう無駄にデケェんだろ)
辿り着いた早々うんざりした表情になり、マリスディアと出会った背の高い木のところまで歩こうと足を踏み出した。
確かこの先に裏の勝手口があるって言ってたっけ、とジルファリアは彼女の言葉を思い出す。
『ま、裏門だって入れてくれるわけねーんだけど」
見覚えのある風景が見えてきたので、そのまま塀を見上げた。
あの日、彼女が座っていた木の上には誰もいなかった。
そう都合よく会えるはずもないかと苦笑し髪を掻く。
柔らかい南風が吹き、ジルファリアの髪を撫でた。屋敷の木々も風に吹かれて枝葉を揺らしている。
さて、これからどうしよう。マリスディアが木登りするまで悠長に待っているわけにもいかない。尤も、彼女が運良く木登りするとも限らない。
(また見回りの兵士に見つかったりしたら事だしな)
仕方がない、今日のところは一旦帰るかと踵を返そうとしたその時、
「ピィ」
と、どこからか短く可愛らしい鳴き声が聞こえた。
見上げると、白い羽の小鳥が屋敷の塀の上に留まっているではないか。
「……あ。お前」
見覚えのあるその姿にジルファリアは笑顔になる。
「お前、ここで罠にかかってたやつだろ?」
ねずみ捕りの籠に入ってしまった姿を思い出した。
ジルファリアの言葉に応えるように小鳥はもう一度鳴き、こちらに向かって羽ばたいた。ちょこんと彼の肩に乗り、嘴を頬に寄せてくる。
「ははっ、オレのこと覚えてくれてたんだな」
くすぐったさに身を捩り、ジルファリアは首を撫でてやる。鳥は嬉しそうにまた鳴いた。
「なぁ、お前はマリスディアがいまどこにいるか知らねぇか?」
聞いても通じないかもしれないが念のため聞いてみると、小鳥は飛び立った。そして塀の上に留まると、ピィと鳴く。
「ついて来いって言ってるのか?」
ジルファリアが首を傾げると、小鳥は西のほうへと飛び去った。
「あ、待てよ」
ジルファリアは慌ててそのあとを追う。
白い羽を見失わないように目で追いながら塀伝いに駆けた。風の音と自分の息遣いだけがあたりに響く。見回り衛兵のことなど、頭からすっかり抜け落ちていた。
しばらく走り続けると、目の前に鉄格子の門が見えてきた。マリスディアの言っていた裏の勝手口だろうか。裏門にしては大きい造りの門はぴったりと閉じられていたが、その前に停まっている一台の馬車が目を引いた。
貴族街に似つかわしくない、職人街や中央広場なんかでよく見かける簡素な幌馬車だ。
しばらくぼんやりと見つめていると、馬車の中から一人の老婦人が降りてきた。そしてきょろきょろと辺りを見回す様子に、直感的に見つかってはいけないような気がしたジルファリアは傍の植え込みに身を寄せた。
しゃがみ込み彼女から死角になったのを確認すると、葉と葉の間から様子を覗った。
周りに誰もいないことを確認した老婦人は、そのまま勝手口の側まで歩き出す。すると鉄格子が開けられ、敷地の中から誰かが出てきたのだ。
「……あ」
ジルファリアは思わず口から声が飛び出し、慌てて手で覆った。
門から出てきたのは、マリスディアだったからである。彼女は老婦人に駆け寄り、一言二言なにかを話していた。手には何か紙のようなものを握っている。
マリスディアの言葉を受けた老婦人は相槌を打ちながら、背後にある馬車に視線を送った。
その視線を追ったジルファリアが思わず声を上げる。
「ダメだ!」
視線が合図だったのだろう。突然、荷台から大きな男が飛び降り、素早くマリスディアの身体を担ぎ上げたのだ。
マリスディアは声を上げる間も無く口を布で覆われ、そのまま荷台の中へと放り込まれた。
「出せ!急げ!!」
男が御者台に声をかけ、飛び乗った。
馬のいななきが聞こえたと同時に、ジルファリアは植え込みから飛び出した。
具体的にどうしようと決めていたわけでない。マリスディアを助けなくてはと反射的に駆け出していたのだ。ジルファリアはそのまま荷台に飛びかかり、縁に手を掛けた。同時に馬車が走り出し、身体が引きずられる。ジルファリアは腕に力を込めると荷台に這い上がった。
「なっ……!何だテメェ!」
先ほどマリスディアを担ぎ上げた男がこちらに気づく。
「おいどうした!」
御者台から別の男の声が聞こえる。
「ガキが一人、登ってきやがった」
「何だと!オジョウサマだけ連れて来いって、あの方からの指示だってのに」
御者が強く舌打ちするのが聞こえる。ジルファリアは素早く荷台の中に目を走らせた。
「あ……あなたは」
後ろ手に縛られたマリスディアがこちらを見ている。怯えと驚きが入り混じったような瞳だった。
「おい、どうする?」
「仕方ねえ。契約とは違うが、ガキが一人増えたところで問題ないだろ。そいつも縛り上げとけっ!」
頭上から聞こえる分かったという男の声に我に返ったが、遅かった。
あっという間にジルファリアも縛り上げられてしまったのだった。
「おいっ!お前ら、コイツをどうするつもりだよ!」
乱暴にマリスディアの隣に投げ飛ばされたジルファリアが負けじと声を張り上げた。
「これって誘拐っていうんだろ!」
その時荷台が激しく揺れ、ジルファリアは舌を噛みそうになった。どうやら舗装された貴族街を抜けたらしい。馬車の後方を見遣ると、郊外の田園地帯に出たようだ。道の状態が悪いのか、そのまま馬車は乱暴な揺れと共に疾走していた。
「役人に見つかったらタダじゃすまねぇぞっ!」
「よくもそうキャンキャン喚けるな、お前」
耳を両手で塞ぎながら目の前に座る男が顔を顰めた。
「お前だって誘拐されてんだよ、怖くねぇのか」
「怖くねーよ!」
と鼻で笑ってやったが、ジルファリアは内心怖気付いていた。
だが、隣で怯えた顔をしているマリスディアを見ていると、自分が踏ん張らなければという気になったのだ。
「静かにしろ」
御者の声が短く飛んでくる。
「役人どもだ」
気がつけば馬車は畦道脇に停まっていた。
「お前ら、ここで大声出したらこのオジョウサマに傷が付くぞ」
目の前に座っていた男がいつの間にか二人の脇に近寄り、マリスディアの顔にナイフを当てた。ヒヤリとしたジルファリアは黙って頷く。
幌の外で何人かの大人が歩く音が近づいてきた。御者の言う通り、見回りをしている衛兵たちだろう。
ジルファリアはこちらの存在に気がついてくれと心の中で願ったが、そんな願いも虚しく彼らは特に変わった動きも見せず立ち去ってしまった。
無理もない、町人がいつも使っているような馬車だ。田園地帯を停車していても特に異質ではないだろう。ジルファリアはがっかりしたが、それでも男たちの様子を見逃すまいと視線を馬車に張り巡らせていた。
「行ったか」
「もう少しここで様子を見る。どのみち俺たちの役目ももう終わるからな」
様子を見てくると言い、台から降りた御者はどこかへと去った。
「しばらく大人しくしてろよ」
マリスディアに突き出していたナイフは下ろしたが、目の前の男はそのまま二人を見張るようにどっかりと座り込んだ。
「どうして……」
男に対して睨みつけるように威嚇していたジルファリアだが、ふと聞こえてきたマリスディアの小さな声に我に返る。
「どうして馬車を追いかけて来たんですか?危険なのは分かっていたのに」
隣を見ると、こちらを見つめるマリスディアの顔があった。
「どうしてって……」
そんなこと言われてもなぁとジルファリアは考え込む。気がついたら走り出していたとしか言えなかった。しばらく黙っていると、マリスディアは申し訳なさそうな表情になり目線を落とした。
「あなたのことまで巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「お前があやまることじゃねぇだろ?悪いのはコイツらじゃん」
じろりと男の方へ目線を移すと、彼もこちらを睨みつけてきた。
「でも、たった一度しか会ってないわたしを助ける必要なんてあなたには」
「それは違うぞ、マリスディア」
彼女の言葉を遮ると、ジルファリアは首を横に振った。
「お前を助けに来た理由はさ」
一旦目線を落とすと、ジルファリアは愉快そうに笑って見せた。
「お前が友だちだからだよ」
しばらくジルファリアの顔をぽかんと見つめていたマリスディアは、ふいに瞳を歪ませ俯いた。すると、ぽたりぽたりと彼女のドレスに水滴が落ちていくではないか。
「えっ!おま、な、泣いてんのか?!」
突然のことに仰天したジルファリアが慌てて彼女の顔を覗き込む。
ぽろぽろと琥珀色の瞳から涙がこぼれていく様に更に慌てふためいた。なんとか拭ってやりたいが、手足を縛られた状態ではどうすることもできない。
「そっか、そうだよな。誘拐なんてされたらふつう怖いよな……」
弱りきった様子でジルファリアが力なく項垂れると、違うのとマリスディアがかぶりを振った。
「うれしくて」
「うれしい?」
意外な言葉にジルファリアが首を傾げると、彼女はこくりと頷いた。
「わたし、今まで同じ歳くらいのお友だちがいなくて。だから、わたしのことを友だちって言ってくれてうれしいんです」
鼻を啜りながら彼女は顔を上げた。
「ありがとう、ジルファリア」
涙を頬に濡らしたまま、マリスディアがにっこりと微笑んだ。
今度はジルファリアがぽかんと相手の顔を見つめた。
どうにも彼女に笑顔を向けられると、気恥ずかしさが勝ってしまう。ジルファリアは照れ臭そうに目線を逸らした。
「だーから、オレのことはジルでいいって」
「はい、ジル」
「あと、喋りかたもな。ふつうでいいよ」
「ふつう?」
マリスディアが首を傾げると、そうだったと思い出す。
「そっか。お前、お嬢さまだから今の言葉がふつうなんだよな。うーん……」
だがこのままの言葉遣いで話されると、どうにもジルファリアが照れ臭くてむず痒いのだ。彼女と仲良くなるのには、もう少し親しげな話し方が必要な気がしていた。
「そーだ、お前の父ちゃんと話すときみたいな喋りかたはどうだ?」
「お父さま?」
するとマリスディアは困ったような顔をした。
「わたし、お父さまとお話しするときもこんな感じなので……」
「えっ、そうなのか?」
このように丁寧な話し方をしなければならない父親とはどういう人物なのだと、ジルファリアは想像もつかなかった。
今まで黙ってこちらを見張っていた男が突然吹き出す。
「おいボウズ、この娘の父親がどこの誰なのか分かって言ってんのか?」
その馬鹿にしたような言い方にむっとする。
「しらねぇ」
「だろうな」
「けど、そんなことどうだっていい。マリスディアの父ちゃんがだれだってオレには関係ねぇよ」
「ジル……」
そんな様子にマリスディアが嬉しそうに微笑んだ。
「同い年のかたと話をしたことがあまりないので急には難しいですが、できるだけ頑張ってみ……るね」
言葉が尻すぼみになっていったが、彼女なりに頑張ったようだ。俯いてしまったマリスディアの様子に、ジルファリアは吹き出す。
「いいよ、ちょっとずつで」
「はい!……あ、りょ、了解」
「ははっ、逆に言葉おかしくなってるって」
「そうかな……」
照れ臭そうな表情のマリスディアを見ていると、ジルファリアも嬉しくなって自然と笑みが浮かんだ。
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