三章;昼下がりの侵入者
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「むー、ヒマだ。すごくヒマだぞ、サツキー」
カウンターに突っ伏しながらジルファリアがぼやいた。腰掛けををガッタンガッタンと鳴らしては足を忙しなく揺らす。
昼食を終えた昼下がり。今日も今日とてアドレから店番を言いつけられ、こうして気怠げにカウンターに座っているというわけだ。
「おいおい、店番がそんなだらしない態度でええんか」
売り場の棚にパンを並べていたサツキが嗜めるように振り返った。
「店番って言ったって、誰も来ねぇじゃん」
「もうじき混み出す時間帯になるで」
「それも嫌だなー」
「お前はワガママやなー」
サツキがひょいひょい手際よく陳列していく様を、ぼんやりと眺めながらジルファリアはため息を吐いた。
「なーんか面白い事起きねぇかなー」
「ジル」
ジロリとこちらを睨むサツキの表情に慌てて身を起こした。
「分かってるって!貴族街には行かねーってば」
「どうだか」
相棒は肩を竦めて空になった籠を抱えた。
「……おっちゃん、あれから何か言ってきたか?」
ジルファリアが貴族街へ行ってからもう十数日が経っていた。あれ以来、ジルファリアは外へ遊びに行くにもサツキが常に同行しており、近場の遊び場へしか行けないように監視されているのだ。
「何も。けど、気づいてるかもわからんから、しばらくは大人しくしとけよ」
「分かってるよ」
不服そうな表情でそう返事をする。ふと脇の小窓から外を見つめ、ジルファリアは頬杖をついた。
「でも心配なんだよなー……」
サツキに聞こえるか聞こえないかくらいの声でそう呟く。
ジルファリアは貴族街で会ったマリスディアという少女のことを思い出していた。あの時は嬉しそうに会話を楽しんでいたように見えたが、母親を亡くしたことを打ち明けた時は実に寂しそうな表情を見せていたのだ。
そうなるのも無理はない。自分だって彼女の立場になったらそうなるに決まっている。時々は母を思い出して、涙を零すときだってあるだろう。
そんな時に彼女のそばに誰か、寄り添ってくれる友人はいるのだろうかとジルファリアは気がかりだった。
(あんな広い屋敷で誰も……友だちとかいなかったら寂しいだろーな)
彼女にも気軽に遊べる友人が居てくれれば良いと思わずにはいられなかった。
「そういやジルは気づいてたか?」
工房のほうから次の品出し用のパンを抱えて、サツキがやって来た。
「何がだ?」
「カラス団のヤツら、最近大人しくなってるみたいやで」
「へー……」
そう言われてみれば確かに街中で出くわす機会がなかったような気がする。ジルファリアは手元の呼び鈴をチリンチリンと鳴らした。
「なんやその気のない返事は」
「だって興味ねぇんだもん。いいじゃん、大人しくなったってことは、ここいらの店から色んなものがコソ泥されることも無くなったってことだろ?」
「いやそらそーやねんけど。そうやなくて……」
サツキが一旦言葉を切る。
「……何か変なこと企んでへんかったらええんやけどな」
「なんだよ、変なことって」
首を傾げるジルファリアを尻目に、サツキは扉窓から外を眺めた。
「嵐の前の静けさっていうかな」
「大丈夫なんじゃねえ?サツキは心配性だなー」
「お前はほんま、興味ないことには頓着せんな」
「とんちゃく?……まーた分かりにくい言葉使ってんな」
何か言い返してやろうとジルファリアが立ち上がると、
「すまん、ジル。おれやっぱり気になるからちょっと様子見てくるわ」
サツキはパン籠を脇に置き、そのまま店の扉を開けた。
「え!ちょ、ま……んだよサツキのやつー。今日は手伝ってくれるって言ってたのに」
既に誰もいない戸口を見遣り、ジルファリアは唇を尖らせた。そのまま髪をがしがしと掻き、パン籠の方へと歩く。
その時ふいにバターの香ばしい香りが店内に広がった。
「お、えらいえらい、ちゃんと店番してくれてるね、ジル」
振り返ると、工房のほうからアドレが盆いっぱいのクラケットを抱えて出てくる所だった。
「おや、サッちゃんはどうしたの?」
「何か用事ができたって出てった」
「そうかい、クラケット焼き上がったんだけどねぇ」
残念そうな声でアドレは焼き菓子の盆をカウンターに置いた。
「ジル、手伝ってくれたお礼に後で届けておくれ」
「へいへい」
サツキが置いていったパン籠を手に取ると、ジルファリアはそのまま陳列棚に並べ始めた。
扉の向こう側が賑やかになってきた。なるほど、もうじき昼下がりの買い物どきだなと頷きながら並べ終える。ジルファリアはそのままカウンターへ戻ると、その上の盆からクラケットをひとつつまみ上げた。
「あ、こら。つまみ食いすんじゃないよ」
「へへ、うまい」
ザクザクとした食感を楽しみながらジルファリアはペロリと平らげた。そしてバターの風味と優しい甘みが口に広がり、自分が自然と笑顔になっていることに気がついた。
「これ、マリスディアも食ったら元気になるかな……」
「ん?誰だって?」
「なぁ、母ちゃん。クラケット、おやつにあげたい子がいるんだけど」
「友だちかい?」
「ん?うーん、……そんなとこ」
改めてそう聞かれると照れ臭くなり、曖昧に首を傾げた。何かを感じ取ったのか、アドレは意味深に笑い頷いた。
「いいよ、いくつか見繕って持って行きな」
「ありがと」
ジルファリアはサツキの分と彼女の分のクラケットをそれぞれ紙袋へ入れていった。
サツキはともかくマリスディアには会える保証もないというのに、彼女の喜ぶ顔を思い浮かべるだけでジルファリアは嬉しくなった。
「店番のほうはもういいよ、ジル。その友だちに渡しておいで」
「え、いいのか?」
母を見上げると、もちろんと頷いている。
「ありがとな、母ちゃん。行ってきまーす」
ジルファリアは菓子袋を外套のポケットに突っ込むと、店の扉を勢いよく開けた。
途端に、外の喧騒に包まれる。
今日も職人街は賑わっていた。それぞれの店の前には所狭しと木箱や樽が置かれ、商品や食べ物などが並べられていた。腹の虫が騒ぎ出しそうないい匂いも漂ってくる。
呼び込みの声がそこらで飛び交う中で、「お、ジルー、元気かー」などと馴染みのオヤジなどが声を掛けてくれる。返事を返しながら、ジルファリアは駆け出した。
「ジル」
その時だった。目の前の鍛冶屋からラバードが出て来たのだ。
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