「そういえば、マリスディアはここまでどうやって登ってきたんだ?」
「え?」
「だってどう見ても、大人三人分くらいの高さがあるだろ?梯子もなさそうだし、どうやってここまで来たのかなって」
「あ……、その」
「あ!そうか、召使いみたいなのがここまで運んでくれたんだな」
これだけ立派な屋敷だ。きっとたくさんいる事だろう。ジルファリアは合点がいったように手をぽんと打った。
「ち、違います」
慌てたように首を横に振ると、マリスディアは俯いた。何故か伐の悪そうな顔をしている。
「その……、自分で……」
「んん?いま何て?」
ジルファリアが覗き込むと、それを振り払うようにマリスディアは声を上げた。
「じ、自分で登ったんです!」
「へ……?」
思わず目の前の少女と今いる場所の高さを見比べてしまう。
こう言ってはなんだが、自分ならいざ知らずこのような……早く走ることだってまともに出来なさそうな少女がこの高さを登ってきただなんて、到底信じられなかった。
「だって、……木登りだぞ?」
当たり前の言葉を投げてしまう。
「……そのドレスで?」
彼女は絵本でしか見た事がないような清楚で可愛らしい装いだ。特に汚れているわけでもないし、破れてなどもってのほかだ。
「……小さいときから木登りは得意なんです」
観念したようにマリスディアは消え入りそうな声で答える。
その様子にジルファリアは呆気に取られていた。が、
「ぷはっ……!まじかよ」
すぐに吹き出してしまった。一度笑いだすと止めるのが難しい。一頻り笑うのを、マリスディアは困惑したように見つめていた。
「あ、ごめん、違うんだ。なんか……考えてたらおかしくなっちまって」
「おかしい?」
「だってさ、お前って多分すっげーお嬢さまだろ?そんな綺麗なカッコしてるのに、こんな高い木も登っちまうんだって想像したらさ」
「そ、そうでしょうか」
「オレの知ってるお嬢さまは木登りなんてしねぇ」
知り合いにお嬢さまもいねぇんだけど、と続ける。
「でも、気持ち良くないですか?こうして木に登っていると、風が心地よいし」
照れ臭そうな顔でマリスディアは目を閉じた。
こちらへ向かって吹く風が木々の枝や葉を通り抜け、さわさわと音を奏でる。
頭上のあたりで戯れていた小鳥たちがチュチュイ、と鳴いているのも聞こえ、ジルファリアの口元にも自然と笑みが溢れた。
「うーん、確かに。飛ばされそうになるのはちょっと怖いけど、なんかテンション上がるよな」
「そうですよね!向かい風が強いと、思わず大声で叫びたくなりますし」
「おお!それなんか分かるなぁ」
「歯が乾くくらい大きく口を開けて叫ぶことありますよね」
「ええ!お前がか?」
「はい、……お、おかしいでしょうか?」
「いやぁ……、なんか想像つかなくて」
「そんなことないですよ、わたしさっき大きな風が吹いた時に叫んでました」
「なんで?」
「声を出したら、楽しい気持ちになりそうじゃないですか」
「まぁそうだけどよ」
そうやって二人はしばらく顔を見合わせて笑っていたが、しばらくするとマリスディアの表情に少し翳りが見えた。
「それに嫌なことだって、吹き飛ばしてくれそうで」
その表情にジルファリアは首を傾げる。
「どうしたんだ?マリスディアは何か嫌なことがあったのか?」
「あ、ごめんなさい」
ジルファリアの声色に我に返ったマリスディアは、一旦枝に腰掛け直すと姿勢を正した。
「少し前に、母が亡くなったんです」
いろいろな感情が入り混じったような表情でマリスディアは視線を落とした。
「母ちゃんが?」
それは子どものジルファリアにとって、とても衝撃的な言葉だった。
自分の母親が急に目の前からいなくなったらどうだろうか。先ほど喧嘩のようなやり取りをしていたアドレの顔を思い出し、ジルファリアはきゅっと拳を握った。
「なんで、その、マリスディアの母ちゃんが……」
「わからないんです」
首を横に振るとマリスディアが力なく答えた。
「前の日までは本当にいつも通りで、とっても元気な母だったんです。なのに……」
そこで言葉を切ると、マリスディアは顔を歪めた。
「次の日の朝、起きた時にはもう母は亡くなっていました」
握っていた拳に力が入ったのだろう、彼女の肩が小刻みに震え、そこに乗っていた小鳥が彼女の膝の上に着地した。そしてまるで彼女を慰めるかのようにその手を優しくくちばしで突いた。
何と声をかけて良いものか考えあぐねていたジルファリアに気がつくと、マリスディアはハッとした。
「急にこんな話しちゃってごめんなさい。思い出してしまって、つい」
「いや!……そりゃ落ち込んじまうよ。オレだって自分の母ちゃんがいなくなったらって思うと、怖いもんな」
空いている方の手で髪を掻く。
「その、なんて言ったらいいか分かんねぇけど、元気だせよ、マリスディア」
「ありがとう」
彼女を見上げると、マリスディアはふわりと微笑んだ。それが木漏れ日と相まって、ひだまりみたいな笑顔だとジルファリアは感じた。
「ところで、ジルはこの辺りに何か用事があったのではないですか?」
ジルファリアの持つ麻袋を指しながらマリスディアが尋ねると、はたと思い出す。
「そうだった!なぁ、マリスディア、お前バスター家の屋敷って知らねぇか?」
「え?」
「オレ、野菜屋のばあちゃんに頼まれて、かぼちゃを届けに来たんだ」
そんな言葉を受けると、マリスディアはそれなら、と嬉しそうに頷いた。
「バスター家はここですよ」
「へっ?」
思わず素っ頓狂な声が漏れ出る。マリスディアはくすりと笑うと、目の前の木々を指差した。
「ここはバスター家敷地の端にあたるんですが、この森を抜けるとバラの庭園があって、その先に屋敷があるんです。裏の勝手口がこの塀をもう少し歩いたところにあって……」
「えぇー……、まだ歩くのか」
なかなか辿り着けないとあってか、流石にうんざりした気持ちになってくる。
「よかったらわたしが届けますよ」
マリスディアが両手をこちらに差し出した。
「でも、お前……」
ジルファリアがちらりと下を見下ろした。この野菜袋を持ってどうやってこの木を降りるというのか。
そんな表情を読み取ったのだろう、マリスディアが不服そうに顔を顰めた。
「わたしを舐めないでください。見た目よりこの木、登り降りしやすいんですよ」
「いや……、けど」
「大丈夫です。お野菜を傷めるようなことはしませんから、心配しないで」
「いや、かぼちゃの心配じゃなくてお前の方が……あっ!」
ジルファリアが言い淀んでいると、マリスディアは素早くその手から野菜袋を奪い取ってしまった。
「ふふ、安心してください」
その勝ち誇ったような様子がどことなくいつもの自分に似ていて、ジルファリアは嬉しくなった。
「おう、じゃあ頼……」
「何者だっ!!!!」
突然鋭い声が響き渡り、自分が見つかったのだと気づくのに時間はかからなかった。
やべ、と漏らすと、ジルファリアはしゃがみ込み足元の蔦を手に取る。もたもたしているわけにはいかない。衛兵達がすぐにやって来る事だろう。
「ジル」
「じゃあな、マリスディア」
ジルファリアは立ち上がり、彼女を見上げた。こちらを案じているような表情のマリスディアに歯を見せて笑う。
「また、会えたらいいな」
そして、そのまま地を蹴り後方に跳んだのだった。
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